No,85「人は見たいものだけを見る ー私たちは自分を客観視できていますかー」
2022年2月
青葉区医師会巻頭言
人は見たいものだけを見る ー私たちは自分を客観視できていますかー
古市 晋
医療人が、悲惨な事件に巻き込まれて亡くなるケースが、相次いでいます。
令和3年12月に大阪市内の心療内科クリニックの放火殺人事件で62歳の男に殺害されたのは、地域の精神医療の要として活躍されていた49歳の心療内科医でした。
心の病で休職した人たちに再就職を促し職場復帰を目指して集団ミーティングなどで人との接し方やストレスへの対処方法などを身につけるリワークプログラムに取り組まれていました。男は、クリニックの入り口にガソリンをまいて放火し医師を含めた25人の人たちを殺害しました。
令和4年1月には、埼玉県ふじみ野市の立て籠り事件で66歳の男に殺害されたのは、母の主治医で地域の在宅医療の要として活躍されていた44歳の訪問診療医でした。
訪問診療を受けていた92歳の母親が亡くなり、男は「線香を上げに来い」と医師らを呼び出しました。男は、心臓マッサージによる蘇生を要求し断られると散弾銃を発砲し殺害しました。
いずれの先生も身を粉にして地域医療で多くの人たちを支え続けて来られ患者さんに慕われた頼りになる先生でした。
亡くなった先生の奥様と子供たちなどのご家族やご両親とご兄弟などのご親族のご心境、そして偶然に遭遇して亡くなられた方々のご家族のご心情を想像すると胸が張り裂けるような思いになります。まだまだ活躍し周囲からも期待された壮年医や前途あった若者の突然の死は、あまりにも虚しいと言わざるをえません。
どうしてこのような理不尽な出来事が起こるのでしょうか?
その最大の要因は、経済的な不安にあるのだろうと想像します。
その背景には、世の中に新型コロナウイルスが、蔓延する中で収入減や失業など経済的困窮に陥る人が、多数出てしまった。
コロナウイルスを責めるわけにもいかず溜まった不満や怒りの矛先を他の人たちに向ける「鬱積した感情」があります。
二つ目の要因は、世の中に人が間違ったことをしたら許さないという風潮が、蔓延しているように思います。
その背景には、インターネットによって関連するキーワードを検索し自分の意見に合致する内容があればそうこれだと自己肯定する「思い込み」があります。
自己の誤った「思い込み」の矛先を他の人たちに向ける「鬱憤した感情」によってこのような有り得ない悲惨な事件が起こったのだろうと思います。
事件に発展しないまでもSNSなどを利用すれば、自分自身は表に立たず相手を簡単に容赦なく攻撃し傷つけることができる。多くの人達が自分の考える悪を叩くさまが、可視化できるようになったため自分の不満や正義を声高に主張する人が増えたのでしょう。医院や病院の悪口を匿名で口コミ情報として投稿するのは、その典型例だと思います。
私たちは、インターネットで検索できるのは極めて有り難いことですが、人は自分が何らかの結論に達するとその後自分の都合のいい情報ばかりを集めてしまう傾向にあります。これを心理学の専門用語で「確証バイアス」というそうです。確証バイアスとは、自分がすでに持っている先入観や仮説を肯定するため自分にとって都合のよい情報ばかりを集め反証する情報を無視または集めようとしない傾向のことと説明されます。論文や自分の意見を述べる時に自分の考え方を分解してMECEミーシー(モレなくダブない)思考になっているか、客観的な論考になっているか注意しなければならないと教えられます。
私たちは、部下や従業員を抱えている組織のトップとして「自分自身が確証バイアスの罠に陥っていないか」「周囲と信頼関係をしっかり構築しているか」と常に内省する必要があります。人は、見たいものだけを見るー私たちは自分を客観視できているだろうかーと。
理不尽な理由で亡くなった方々のご冥福を祈りながら社会の背景に潜む「鬱憤した感情」と人間の思考に潜む「思い込み」の中で私たちは「いかに周囲と信頼関係を構築するか」を考えさせられた悲惨な事件でした。
季節は、徐々に春に近づいています。2月は寒さの中にも春の兆しが感じられる三寒四温の時節柄、コロナ感染が拡大する中で地域医療に邁進されている医師会員の皆様におかれましては、くれぐれもご健勝にお過ごしいただきたいと思います。