26. 走れメロスと北島康介
一月二日の朝、何気なくテレビを見ていたら東京 MX テレビで『走れメロス(太宰治著)』というアニメーションを放送していました。
中学校時代の国語の教科書に出ていた記憶があり懐かしさのあまり2時間ほど見入ってしまいました。
太宰が、描きたかったテーマは、まさしく人間の信頼と友情の美しさ、圧政への反抗と正義です。
テレビを観たあともう一度新潮文庫から刊行されてる走れメロスを読み返してみました。
その簡潔で力強い文体は、アニメ-ションで描かれていた映像とまた違ったこの作品の深い感動の奥行きを感じさせてくれました。
では、私がどこに感じ入ったのか・・・
時代は、古代のギリシャ。
理不尽な理由で投獄されたメロスが、暴君ディオニスから仮釈放として与えられた条件は遠方の田舎で挙式を挙げる貧しい妹のために釈放された猶予が、3日間だけ。
3日後の日没までに帰還しなければ身代わりに投獄されたセリヌンティウスを処刑すると。
そしてその間の道程は、暴君ディオニスから邪魔はしないが、協力もしない自分一人だけの力で走れというものでした。
私は、この自分一人だけの力でという部分、そして孤独で苦難に立ち向かうメロスに多感な学生時代に感動したことを思い出したのです。
そして、アニメを観ながら昨年夏の北京オリンピックで五輪2大会連続で4つの金メダルを獲得した北島康介選手も同時に想起したのでした。
北島選手は、多くの協力者を得ながらもおそらく様々な誘惑を断ち切り日々の訓練を実行する際には、自身を高めるためにたった一人で孤独の深海に入り孤独と徹底的に闘って来た人。
その体験が、自身の強さ、メダリストの意地、そして自分に向き合うことで物事を熟考する日常の習慣を身に付けることができた人なのだろうと思います。
青春時代に教科書で読んだ本を、今、アニメーションとして映像で再認識できることで人が自身を支えるのは、「信頼」が原点であり自身を支え続けられるのは、孤独から逃げ出さずにそれぞれが過ごした恐ろしいほどの「孤独」の総体の結果でしかないとメロスと北島選手が教えてくれたように思います。
一月二日の朝は、無駄にならない2時間でした。
2009.1.3