41. 訪問と墓参り|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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41. 訪問と墓参り

2015.06.09

5月のゴールデンウイークは、新型インフルエンザ感染拡大による心配の中高速料金の定量化による割安感で、遠くへお出かけになったご家族・・・
あるいは、こんな時こそ、自宅近辺でじっとされていたご家族・・・
それぞれ、お過ごしになられたことでしょう。

私は、この休暇中、二つの目的で故郷富山へ帰省しました。
一つは、脳神経外科の恩師であり出身大学の学長まで勤められたT先生のお祝いのため、ご自宅へ「訪問」そして、もう一つは、1年ぶりの「墓参り」でした。

T先生は、私が医師になった時から、公私ともにお世話になった恩師です。
脳外科医としての基本を、直接ご指導頂いたばかりでなく人としての生き方を、後ろ姿を通して、お教え頂いた生涯で一番大切な先生です。

その先生が、この春の叙勲で、栄誉ある「瑞宝重光章」を受章されたのでした。

T先生は、声が、誰よりも大きく、太い。
その大きさと太さだけからすると、決して北島三郎に勝るとも劣らぬ声量をお持ちです。

そこへ、さらに、マーロン・ブランド流のドスが効いた重い言葉が、重なるとそこには、ゴッドファーザー風の魅力的で重厚な低音の響きが、周囲一体に漂います。
(マーロン・ブランド、ゴッドファーザーなどが出て来るところに自身の歳を自覚しますが)

医者になった頃、そんな魅惑的な声でも教授回診で多くの医者たちが、病室に群がる中、患者さんの眼前でその太く大きな声で怒鳴られる時には、腹の底まで響いて震え上がったものでした。

私たち新人の医者の頃は、教授回診の前日の夜、「教授回診対策」と称して先輩医師から如何に上手く、教授の怒りを買わずに、すり抜けるか・・・
そのノウハウと傾向と対策を伝授してもらいます。

深夜まで何回も予行演習を重ねて、当日の本番に臨んだものです。

そんなやり取りを通して、新人の医者にとって、教授回診は人の前で発表するプレゼンテーションの大切な初歩教育の場だったのです。

T先生は、多くの医者の中、患者さんの目の前で、新人の医者を容赦なく怒鳴りつけます。
また勉強不足が露呈すると、カルテを床に投げつけることさえあります。

でも、そのような洗礼を何回も受けるに従い新人医師は、人前で分かり易く発表し、鋭い質問にも、聴衆が納得できる返答をする。
そんな修羅場を少しづつ踏むことで、教育訓練されて行くのでしょう。

教授回診でそのような怒鳴り声や、カルテを投げ付けられるのは一定の傾向があることに、新人医師は、ある時気付きます。

怒声と投付けは、脳神経外科特有の意識障害のある患者さんの目の前だけ、という傾向に。
すなわち、ICU(Intensive care unit)という集中管理室で治療している意識障害がある患者さんについて討論している時に、「こと」が、集中していると。

意識がしっかりしている患者さんの目の前ではけっして、そのような下品で野蛮な振る舞いはしない。
それは、別室のカンファレンスルームでじっくり搾られます。

蛮行と思われたそのような諸作の使い分けには患者さん自身への配慮もあるし、新人医師の人格への思いやりもある。
その配慮と思いやりは、保身のためではない人への密かな愛が、こもっていたのだと思います。

メリハリの付いた教授回診は、脳神経外科の特色ある疾患の故でもあるのでしょう。
こんな野蛮な回診が、意識が全員清明である皮膚科で行なわれるはずはありません。
脳神経外科が、重症の意識障害を取り扱う領域だからこそ、出来た回診劇でした。

 (だから、皮膚科の先生は、優しい人が多いのかも・・・
  脳外科医は、心根がとっても繊細だけれど、野蛮な人が多いのかも・・・)

T先生は、そんな教授回診が終ると新米の医者であっても、一人の医師になった時には「おい、ふるいち・・・ガンバレよ」と声を掛けて下さるのでした。

脳外科医となって数年経った時T先生ご夫妻をお仲人に結婚式を挙げました。22年前のことです。

その後、仕事の多忙さを言い訳に、私たち夫婦は二人で、T先生宅へご挨拶に伺っていなかったことが心の底に引っ掛かっていました。

T先生の邸宅と実家の拙宅が、近いこともありいずれそのうち伺えばいいか、と思っていたのです。
でもチャンスを逸すると、なかなかそのような機会は、ありませんでした。

そこで6年前の年始、大晦日の当直が終った元旦の夕方、羽田から富山へ向うことにしました。
飛行機は、羽田から順調に飛行していました。

ところが、羽田では、快晴であった天候が、富山上空となった頃は、大雪となっていました。
日本海側の冬の天候は、予想が困難なのです。

富山湾と富山平野、そして能登半島の上空を何回も旋回しながら着陸のチャンスを探していましたが視界不良でついに着陸を断念。そのまま羽田へ舞い戻ってしまったのです。

雪深い地域では、年に数回そのような不遇があります。

やっと思い立って休みの日程を調整しそして、T先生にも元旦の夜に、大切な時間を作って頂いたにも関わらず着陸断念というジョーカーに見舞わられるとは・・・なんという不運なことでしょうか。

残念無念という他ありませんが、天候による不運は、覚悟の上の飛行ですので仕方ありません。
その後、夫婦でT先生宅をお伺いするチャンスは、ついに逃してしまいました。

そして・・・
4月29日、昭和の日。

新聞紙上でT先生が、「瑞宝重光章」を受章されたことを知った私はこの連休を利用して、ご自宅へ訪問させてもらうことにしました。

富山行き最終便は、悪天候もなく無事到着。そして、T先生宅へお祝いに直行しました。
(妻の遺影と開院時に二人で撮った記念写真を携えて・・・)

Tご夫妻は、私たちの訪問を深夜にも関わらず、大変歓迎して下さいました。
75歳になられたT先生の大きく太いお声は嗄れて、一層さらに重厚な低音となって、再び
 「おい、ふるいち・・・ガンバレよ」と・・・。

その翌日・・・
妻が、眠る墓前に1年ぶりのお墓参り。
だれもいない広い霊園の中に、一人静かに眠る妻を偲ぶと昔の数々の喜悲が、再び走馬灯のように蘇って来ました。

そして、過去の大きな喜びと深い悲しみの魂積で、胸が熱く込み上げて来ました。
瞼の向こうの景色は、蜃気楼のように揺れて、幻影を見ているように、棚引いていました。

私の5月のゴールデンウイークは、「訪問」と「墓参り」。
富山産の美味しいお寿司も食べることができた。

そして・・・
Tご夫妻が、いついつまでも、お元気にお過ごし頂きたいと念じ何より、心の底にあった引っ掛かりが、解消できた帰省でした。

さあ、明日から仕事です。ガンバリましょうね。

2009.5.6

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