42. 時間とは|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」

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42. 時間とは

2015.06.09

5月中旬は、新緑の若葉というよりも晩春の満緑、といった季節になって来ました。
まさしく、緑がいっぱい満ちている時期、と言ってもいい。
若木から新芽が出て、若葉が繁茂する時間経過は、数週間単位で変化していきます。

植物は、春に気温や気象ととも成長する。
そこに生命力の強さと時間の早さを感じます。

2月4日が立春、5月6日は立夏でした。そして今、薫風の候。
時間は、だれでも平等に与えられているはずなのに、時間の速度は、人によって異なる。
この「時」に関する観念は、ヨーロッパと日本で、大きく異なると言われます。

万有引力を発見したイギリスの数学者で物理学者でもあるアイザック・ニュートンは地軸に向ってストーンと落ちるリンゴを眺めながら、冷めた視点で

時間とは・・・
 “それ自身で外界の何ものとも関係なく
 均一に流れる「絶対的」に独立して存在するもの”
としました。

しかし、日本においては、松尾芭蕉が桜の花びらが、風に吹かれて木から離れ、ひらひらと舞いながら、地面に落ちるまでの瞬間的な時間を切り取って

『さまざまな こと思い出す 桜かな』
という俳句を詠んでいます。

日本における時間とは・・・
 “何よりもその人の心の中を流れるものであり
 森羅万象と「相対的」な心の交流の在り方を意味しているもの”と。

アイザック・ニュートンは、1642年生まれで、75歳で亡くなっています。
一方、松尾芭蕉は、1644年生まれで、50歳で亡くなっています。
二人は、住んだ場所が違っても、生きた時代は、ほぼ同じ。

17世紀の近世ヨーロッパは、科学史上重要な発見や発明が、相次ぎました。
科学革命の時代と呼ばれたさ中、ヨーロッパ社会の思考が外へ外へと向った時勢に生れ出たニュートンは「時間は、絶対的な孤立した存在である」と考えた。

17世紀の近世日本は、安土桃山から江戸に移り、絵画や文学などが、発展しました。
文化発展の時代と呼ばれたさ中、鎖国へと進んだ日本社会の思考が内へ内へと向った時勢に生れ出た松尾芭蕉は「時間は、相対的な心の交流の在り方である」と考えた。

この二つの時の捉え方を、このように併記して、時代背景を考えてみると(如何に歴史を勉強していない私でも)何となく納得してしまいます。

同じ世代に生きながら、異なった環境によって時間の捉え方が、まったく違うことに得心しながら

では、一個人における生涯では時間の捉え方や感じ方は、どう違うのか?
と考えてみると・・・

一時間は60分、一日は24時間、一年は365日
誰でも知っている、皆が平等に与えられている絶対的な時間は年齢に応じてその価値が、相対的に異なることに気付きます。

子供の頃の若年時代と、大人になった後の中高年や老年時代では時の流れと時の質は、10倍以上の違いがある。
そう思うのは、私だけではないでしょう。

ニュートンがいう「時間とは、絶対的な孤立した存在」を理解しつつ松尾芭蕉がいう「時間とは、相対的な心の交流の在り方」にうなずく自分がいます。

この「時の流れ」と「時の質」をどう扱っていくのかは人が、一人で時を過ごす究極の命題であると思います。

すなわち・・・
「人が、一人になった時、寂しさという人生の最大の課題と、どう付き合っていくのか」

それは・・・
「克服しなくてもいい、どう折り合って、如何に、上手に親しんでいくのか」
であろうと、一人で私は熟考するのである。

アイザック・ニュートンと松尾芭蕉のお二人は、二歳の年齢差。
もし、彼らが、同じ学校で学んでいたなら、先輩後輩としてお互いを何と呼び合って、時に関して何を語っていたでしょうか?

私が、想像するに、次のように呼び合っていたと思います。

ニュートンは、後輩の松尾芭蕉を「お~い、松ちゃん・・・」と呼び、そして松尾芭蕉は、先輩のニュートンを「は~い、トンさん・・・」と返事する。

お互いを親しみを込めて尊敬し、また刺激し合って切磋琢磨することで、さらに高みへと突き進んだに違いありません。

そして、リンゴと桜に関する、時の言及では松尾芭蕉は、トンさんに、「林檎が、風に吹かれて、ストーンと落ちましたよ」と語りニュートンは、松ちゃんに、「桜花が、地軸に向って、フワーリと落ちましたぞ」などと。

『トンさん的時間の流れ』と『松ちゃん的時間の流れ』をお互いの視点で尊重しつつ語り合っていたのではないでしょうか。

最後に、稚拙な私の俳句を一つ・・・
 『時間とは 一人親しむ 櫻花かな』

時間とは、孤独になったその時、時と仲睦まじく、一片の櫻花を慈しむように一人で限られた時間を、安らかに過ごす生命であると。

植物が持つ生命の力強さと可憐さを思い、これからさらに加速していくであろう時間を掛け替えのない一刻として、過ごしていきたいと思う満緑の5月中旬でした。

2009.5.17

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