38. もう一つの EBM
EBM という言葉をお聞きになったことがあるでしょうか?
この言葉は、医療関係者にとっては常識語ですが、一般の方には馴染みのない単語だと思います。
EBM とは、Evidence-based-medicine の略。
「証拠に基づいた医療」と訳されますが医療においては、科学的根拠に基づいて診療方法を選択することを意味します。
根拠に基づいた医療の発祥地は、アメリカです。
治療の効果や副作用、その病気のたどる経過、そして最後には結果がどうなったかなどの膨大な数の医療データが、論文として医学誌に発表されます。
医療現場から生産蓄積されたことが、再び治療現場に活用される制度がアメリカでは日本より整っているとされています。
治療法は、10年一日として変わらない分野もあれば、日進月歩で進化する領域もある。
それを医者は、常に自らの専門分野の情報を関連の医学誌から熟知していなければなりません。
これを怠って最新の治療を行なわず患者さんの容態が満足な結果に終らなかった場合訴えられることがあります。
訴訟国のアメリカの脳外科医は、それを想定して収入の相当な額を保険に回すそうです。
これを知った時、私は、ああ、日本人でよかったなあ、と思いました。
いつも面倒くさいことは後回し・・・
こつこつ勉強するのは大嫌い・・・
怠惰な生活でいつもボーと時を過ごすことが好き・・・
そんな(私のような)医者は、到底アメリカで生きて行けないでしょう。
では、日本の脳外科医は、どうなんでしょうか?
全ての脳外科医が、最新の知識と技術を持って最善の治療ができればそれに越したことはありません。
でも全ての脳外科医が、同じ方向に向いていなくてもいいのでは、とも思います。
「毎日が前進、常に進歩、日々が改良」をモットーにした
多くの人が尊敬する“神の手の脳外科医”が、世界には必要であれば・・・
「毎日が同じ、常に停滞、日々が繰返」を日常生活にした
多くの人が黙殺する“蟻の足の脳外科医”も、地域には必要なのでは・・・
と思います。
だって、そんな蟻足な脳外科医が、世の中にいなかったら目の前の患者さんが(実は私も)困りますから。
蟻足とは、ちょこちょこと細かく歩くこと。
行きつ戻りつしながら慌ただしく歩むこと。
頭が足りないそんな医者の EBM を補足するために数年前からそれぞれの分野の学会は、日常の診療に役立つ診療ガイドラインを出しました。
そこには、強く推奨される治療、行なうよう推奨される治療、根拠が明確でない治療などの記載があります。
この本を初めて手に取った時、私はこんな有り難い本が、あったのか、と思いました。
でも患者さんを前に治療を行なう時には、その通りにはなかなかできないものと気付きます。
「強く推奨される治療」と脅迫されてもなあ・・・
「行なうように推奨される治療」と激励されてもなあ・・・
「根拠が明確でない治療」と突き離されてもなあ・・・
実際の患者さんを前に私の気持ちは、なんだか複雑になってしまいます。
EBM=Eevidence-based-medicine
「根拠に基づいた医療」は現代医学で最も尊重しなければならない視点です。
しかし、私は、もう一つの EBM を心に留めておきたいと思いました。
それは・・・
EBM=Experience-based-medicine
「経験に基づいた医療」とは不明確ではあるけれども、良心的に、分別をもって、現場で、経験に基づいた最良ではなくてもベターな医療を行なうこと。
「理論上の理屈」よりも「実際上の経験」が勝る時があると思うから・・・。
セオリーテック(理論的)に理屈を考える理系的論理とプラグマテック(実際的)に経験で捉える文系的感性を現場では、いつも持ち合せていたいと経験的に屁理屈をこねています。