47. 手塚治虫氏という碩学者
手塚治虫展が、東京江戸博物館で、この春、開催されました。
生誕80周年記念の特別展として、「未来へのメッセージ」の副題が、付いていました。
1989年(平成元年)、まだ60歳という年齢で、惜しまれつつ、胃癌でこの世を去った漫画家、手塚治虫氏を知らない人は、日本人なら誰もいないことでしょう。
没後20年という歳月が経った今も、手塚氏が描いた作品は私たちに、壮大な未来へのメッセイージを残してくれています。
“その「未来へのメッセージ」とは、一体何でしょうか?”
質、量ともに膨大な作品群の中で『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『火の鳥』 の三作品が手塚氏の世界観を物語る、最も大切な遺品であると思います。
『鉄腕アトム』という作品は・・・
昭和34年、ドラマ化された番組として、フジテレビジョンから、放送が、開始されました。
私が、幼い頃、白黒のテレビで観ていた記憶があります。
十万馬力で正義の味方。
天才科学者の息子の代替えとして製作されたアトムは科学を単に崇拝するのでなく、科学への過信がもたらす危うさも、同時に提起しています。
“科学万能が、社会や人間に如何なる問題を引き起こすのか?”
科学技術が、世の中を発展させる有り難さがある・・・
その一方で
自然破壊が、生態系を破滅させる危うさもある・・・
科学技術に対する「夢と憬れ」
そして
科学妄信に対する「未来への警鐘」が
アトム作品に込められていたのだろうと思います。
『ブラック・ジャック』という作品は・・・
1973年(昭和48年)、週刊少年チャンピオンから、連載が、開始されました。
私が、高校時代に毎週楽しみにしていた漫画でした。
田園が広がる田舎住まいの高校生には、数少ない楽しみであったように思います。
(私が、医師になりたいと思ったきっかけが、この作品です)
“医者は、誰のために、何のために、存在するのだろう?”
生と死の本質をテーマに描いたブラック・ジャックは無免許ながら、天才的な技術を持つことで、金持ちには、法外な治療費を要求します。
一方で、貧しい人々には、ニヒリスティックな対応でさらりと治療を施して、黙ってアッという間に、去っていく。
この世に生を受け、一つしかない命として消滅すれば、元に復し得ない、かけがえのない有機体それが、生命だと・・・
生きることの喜びと大切さ、人間にとって永遠のテーマである 「生命の尊厳」について手塚氏は、ブラック・ジャックの背中を通して私たちに語ってくれたのだと思います。
『火の鳥』という作品は・・・
1977年(昭和52年)、NHK第一ラジオから、火の鳥 黎明編として、放送されました。
私が、大学時代にラジオで聞いたように思いますが、はっきり覚えていません。
“宇宙の中に居る人間の存在とは、何だろうか?”
遥か彼方の過去から、延々と繋がる未来への「時間軸」
そして、今、ここに存在し、現在に広がる「空間軸」。
壮大なスケールの中で、時間と空間が交差する、その交点にいる私たちと同時代に生きる同じ生命が、自然界に満ちている宇宙観を・・・
それらが、密接な相互依存を保ちながら私たちが住める、唯一無二の生き物、地球に、今、存在している生命観を・・・
時代の移り変わりとともに、変化していく無常な人間性と本来の人としての真の姿や本質を、私たちに問いかけとりわけ、日本人としての進むべき道を、示唆してくれたのだと思います。
手塚治虫氏が描く作品に貫かれたテーマは、ただただ『命の在り方』でした。
その「いのち」とは、自分ひとりの命ではなく他人の命、家族の命、国民の命・・・そして、生物すべての命、惑星の・・、宇宙の・・、と果てしなく広がって行きます。
作品の一物語を、ストーリーとして描くだけを狙って創作したとは、到底思えない達観した命の観点は、何故そこまで、深遠な思索的視野を持ち得たのか?
胃癌という病が、襲って来ても、自身の生物としての宿命を受け入れつつ最期までひたすら努力し、自らの命を削って、限られた時間を惜しむように心血を注いで、作品に没頭した手塚氏。
亡くなる直前まで、仕事への意欲は、衰えず最期の言葉は、「頼むから仕事をさせてくれ」と言われているように漫画に命を捧げた60年の生涯でした。
自己の永遠なテーマである『命の在り方』を自らの命で、渾身の力で、描き切ったのだろうと思います。
今、もう一度、味読すべき作品群を創出した、手塚治虫氏には類い稀なる偉大な碩学者であったと、改めて尊敬しながら私は、また昔を思い出して手塚作品を読んでは、思索する日々なのでした。
2009.7.23