46. 好きな季節は、今日もいい一日
2015.06.09
7月上旬の季節は、湿った小雨の梅雨の合間に照り付ける真夏の太陽が、時折顔出し、またしばらくは雨模様。
そんなすっきりしない天候が続いていますね。
多くの人が、好きな季節は、いつですか?と聞かれたらこんな鬱陶(うっとう)しい梅雨の季節は、あまり好きではありませんと答える人が、圧倒的に多いのではないかと思います。
でも、梅雨の7月に「しっとり」と静かに降る雨の中で時間が「ゆっくり」と穏やかに流れていく。
そんな移りゆく感覚が、無性に好き・・・
という人も世の中には、少数ながらいるものです。
実は・・・私が、そうなのですが・・・。
(へそ曲りな私だから、という訳ではありません
ただただ、来るモノ拒まずの素直なだけでして)
では、いったい、何故、そんな移りゆく感覚が、無性に好きなのか?
通常なら、見上げればドンよりした灰色の空よりも、澄み切った群青の空が、好き・・・
傘と長靴の雨よりも、手ぶらでスニーカーの晴れが、好き・・・
また、ジメジメした湿気よりも、カラッとした乾燥が、好き・・・
という人が、大多数でしょう。
季節の移ろいの中で、曇り、雨、湿気、などの好まれない気候をどうやら私たちは、何事であれ理由を付けて 「イヤだ、キライだ」と思うことが、多いように思います。
しかし、それを裏を返して見ると、私たちは、何であれ、それらをいろいろな理由で 「スキだ、コノミだ」と思うことも、また出来ることになります。
廻る季節の気候には、自身の感性で好き嫌いや自身の体調に向き不向きがあるかもしれません。
でも、感性で好き嫌いや、体調に向き不向きがあったとしても廻る気候の変遍に関わらず、自己の重心の置き所によって、本日の一日が「今日は良い天気で、わるい一日」にもなれば「今日は悪い天気でも、いい一日」になるのだろうと思います。
さて・・・
7月上旬、梅雨の晴れ間の曇り空、すっきりしない天気でも私は、“とてもいい一日” を過ごすことが、出来ました。
恩師の祝賀会で故郷富山へ帰省した際、今、だれも居ない実家に一人で泊まりました。
街の騒がしさから離れて、田舎故の静かな佇まいの拙宅は都会では、考えられないほど物音一つしない別世界の環境です。
耳を澄ませば、北陸本線に列車が走る鉄路の音が、遠くの彼方から時折聞こえて来ます。
気忙しい日々の喧噪から、静寂な場に身を置くことで心身が落ち着く、束の間の数時間を、過ごすことが出来ました。
早朝5時、小鳥の囀(さえず)りに誘われて拙宅から1分のところにある姉の倉神社に詣ることにしました。
誰もいない境内は、梅雨の小雨で洗われた石灯籠が、朝陽に照らされて輝いていました。その石灯籠には、数年前、初老記念として小額の寄付をした私の名前が、刻まれています。
地域の安泰を願って鎮座する神さまにわずかばかりの寄付をした刻印を残してもらっていることに気恥ずかしさを感じながら実家に帰った時のお決まりの早朝詣です。
小鳥の囀りと鉄路の響きが、交錯する誰も居ない神社には、気のせいか下界とは異なる凛々しい空気を、感じるのでした。
空間に満ちる凛としたエネルギーを自分の魂に送るイメージで手招きしてみると気をより体感し易く、新たな力を充填してもらえたように思います。
早朝、この梅雨晴れの間隙に、神社詣を終えそして、さらにその後先祖が眠る、そして、月命日でもある妻が眠るお墓参りへも向いました。
地域神社の参拝・・・
さらに先祖の墓参り・・・
国や地域を守り続けて来た神社と家族を影から遠方でも見守り続けてくれるお墓は日常の枠を越えた存在として大きなスケールで私たち根底のエネルギーとなっているのだと思います。
古来から私たち日本人が、大切にして来た「神社」と「お墓」の霊地に立つとそれぞれの聖地に宿る魂への感謝の気持ちで今を生きる私たちの運気を、より押し上げてくれるようにも思います。
『7月の梅雨は、「しっとり」と静かに降る雨の中
時間が、「ゆっくり」と穏やかに流れていく』
こんな単純な理由で好きな、そんな移りゆく季節は “ 今日もいい一日だった ” と思える日々を重ねていきたいと思います。
2009.7.9