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コラム

60. スポーツ財産の継承

2015.06.10

バンクーバー冬期オリンピックが、終了しました。
期待通りの成果は、上がらなかったかもしれませんが懸命に頑張る選手の姿に、感動の余韻を今も残してくれています。

オリンピックを代表としてあらゆるスポーツを観戦する時に気付くことがあります。

それは・・・
 肉体を鍛え上げ、精神を一点に集中させて、大舞台に臨んでいる選手へ
 「がんばれ~」「負けるな~」「それ行け~」と声援するたびに
 自分自身が、まったく同じ言葉で、逆に選手から激励されていることにです。

大きな大会であればあるほど、選手たちのプレッシャーは、尋常ではないはずです。
ある時は、スランプを克服し、ある時は、故障を調整して大舞台に臨むアスリートたち。

彼ら彼女らはそれまでの声援を励みにして、積み重ねてきた訓練を自信にしてそれらが活動の本源となって、本番に臨むのでしょう。

スポーツにおける感動の原点は「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあります。

世間の注目を集める大会であればあるほど日々の生活から自己の欲望を可能な限り制御し、切り落としながら目標に向って過ごして来たはずです。

そんな肉体的にも、精神的にも鍛え抜いた人が、魅せる姿であればこそその結果が、選手自身の目標に到達できなくても、または私たちの期待に沿わなくても凡庸な私たちは、その過程に感動を覚え、惜しみない拍手を送るのだろうと思います。

そして、もう一つ私たちに感動を与えてくれる原点はアスリートの本番以外の立ち振る舞いにおける所作の美しさにもあると思います。

競技が開始する前は、静寂の中に緊張して、キリリと締った凛々しさと競技が終了した後は、溜息の中に圧迫されていた胸が、弾ける切なさに垣間見えるアスリートの所作の美しさに感動を覚えるのです。

競技そのものの可憐さに加えて競技者が、競技前後に見せる行儀が、清々しく美しければ美しいほどさらに感動が、大きいのだと思います。

では、競技者が、競技前後に見せる清々しい美しさの源泉とは何でしょうか?
それは、すなわち「礼の精神」に基づいた所作なのではないかと思います。

「礼の精神」とは何か・・・
礼とは、他者に対する優しさを形に表したものです。
日本では、昔からお辞儀の仕方とか、歩き方とか、話し方とかその他にも、所作に関する作法が作られ、それらを規範として学ばれて来ました。

他者に対するこのような礼の精神を備えたアスリートが競技そのものの可憐さと競技前後に見せる清々しさに優美さを与え、感動させてくれるのでしょう。

アスリートが、示す・・・
自身の晴れ舞台となる、競技場に入場する際の、一礼
自身を応援してくれた、観客者の拍手に対する、答礼
自身のライバルとなる、競争者を敬するこころ、黙礼

アスリートのこれらのすべての礼は成績の結果以上に、感動を与えてくれるものだと思います。

私は、スポーツを観る度に「鍛え抜かれた肉体」の上に「礼の精神」を宿すアスリートにこよなく感動を覚えるのでした。

出場している選手へ、私は心の中で叫びます。
 (がんばれ~・・・)
 (負けるな~・・・)
 (それ行け~・・・)
などと。

声援しているうちにその言葉は、自分のこころの中で「こだま」してやまびこのように反響し、自分が鼓舞されています。

選手を励ましていながら、いつの間にか、その選手に励まされている。

テレビが中継する街頭の声でよく耳にする「元気をもらった」「勇気をもらった」という言い方も選手からもらった感動を、自分なりに「こだま」させた言葉なのでしょう。

バンクーバー冬期オリンピックを観てスポーツにおける感動の原点は・・・

「鍛え抜かれた肉体」による極限の衝突にあるのは、もちろんそれと同等、あるいはそれ以上にアスリートの立ち振る舞いにおける所作の「礼の精神」と私たちの内なる「こだま」にあるのだと思いました。

肉体的に最高の選手が、最幸の人生を歩むための礼節は、欠かせない生活道。
私たちは、礼の精神をスポーツにおける貴重な財産として若い世代へ継承しなければならないのではないでしょうか。

さて・・・
今度は、パラリンピックが、始まりました。
ハンディキャップを背負った選手が、どんな感動を興してくれるでしょうか。

私たちは、また心の中で叫びながら、テレビを観戦していることでしょう。
 (がんばれ~)
 (負けるな~)
 (それ行け~)

そして、最後に・・・
 (ありがと~)と。
これらの言葉が、やまびこのように、心の底で「こだま」しながら・・・。

2010.3.14