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コラム

62. 運命を握る神

2015.06.10

4月上旬、巨人コーチの木村拓也さんがくも膜下出血のため、37歳の若さで夭逝されました。

ご本人の運命だったとは言え、やり残したであろうことの多さを考えると無念さを通り越して、運命の神を呪いたくなります。

どのような人にも、いずれは必ず、死は訪れると知りながら余りに早い死を聞かされると、多くの人たちは、運命の非情さに只々、阿鼻叫喚し、運命の神の前に、嗚咽しながらひれ伏すしかありません。

残されたご家族は、今は悲嘆に暮れた日々でも、今後長い年月の経過の中で少しずつ変化して、僅かずつ癒されていくものと思います。

しかし、喪失した代償は、何事にも替え難くこれからの人生が、今までとは全く異なることに心の底から胸が痛みます。

長い年月が経過すると、遺族にとって外面的には穏やかに見えても故人の面影が心の底に残像として染み込み、内面的な寂しさは変わらないものです。

私は、ご家族を亡くした悲しみや苦しみに耐えながら日々の生活を送っている通院患者さんを、日常の診療の中で数多く診察します。

父や母、あるいは、夫や妻、場合によっては子供を亡くした深い悲しみは、運命でありその人が、また新しく生きていかねばならない試練であると理解しながら・・・

家族を亡くした方々のお話を診察の合間にお伺いすると三回忌が終っても、なんら故人への想いは、変わらないとおっしゃいます。

七回忌を終えて、やっと現実と悪夢の乖離が、近づき故人が、実生活の中で、現実にこの世から居なくなったと肌身で感じるとおっしゃいます。

高齢となって、伴侶を亡くした患者さん・・・
若い頃に、家族を亡くした患者さん・・・

年月が、経っても、故人への想いは、どのような方も変わらないはずですが特に、残された時間がより短い高齢者が、故人を偲びながら、過去を心の支えにしつつまた新しく生きておられる。

そんな日々の姿と、折り目正しい凛とした姿勢を拝見するとこちらこそ、教えられる事が多く、感銘を受けたりもします。

そのような患者さんの姿を外来診察中に垣間みて私は、目頭を熱くしながら、心の底で力強く応援しているのでした。

さて・・・
死に至る恨むべき病としてのクモ膜下出血とはいったいどんな病気なのか?どうしたら避けられるのか?

脳卒中は、年間何万人も発症し、死に至るこの病を救うために日夜、脳外科医は、身を粉にして働いています。

脳外科医だけが、身を粉にしているわけではありませんがその責務の重大さを知ってるだけに、救急や手術の現場の最前線で働いている人たちには心から頭が下がります。

発症した後に命を救うための作業は、莫大なエネルギーを要します。
だから、なんとか発症する前に予防できないか。

致命傷に至る前には、なんらかの前兆としての症状がある。
振り返ってみれば、あれが前兆だったのか、と悔む前に加齢の中に潜む予兆を甘く見ないでほしい。
かくいう私も同様ですが・・・。

人間性を深める要素は、満ち足りた幸福の中よりもむしろ逆境の中にあるのかもしれない。
蠢(うごめ)く切ない心の中から、深い人間性が、芽生えてくるのだろうと思います。
厳冬を耐えた仔虫が、春、土の中から、もぐもぐ動きだして、地上に顔を出すように。

人の心を深く豊かにしているのは、疫病神と福の神を一対の「運命を握る神」として切り離せないところから生まれると考えるならば

疫病神を遠ざけ、福の神を招来するには人が、亡くなったことに心から冥福を祈り、その事実に大きな溜息をつきながらも人生の局面を一方の悲哀だけを見ないこと。

すなわち・・・
暗愁(哀しい物思い)というマイナスの心の感情と感謝(嬉しい物思い)というプラスの心の感情を、同時に大切にしつつ

故人と他の家族や、支えてくれた多くの周りの人々のために強く生きていくことに尽きるのだろうと思います。

木村拓也さんのご冥福を心からお祈りしながらご家族が、一日も早く日常を取り戻されることを祈念します。

2010.5.4