66. 長寿社会の「しあわせ」
日本人の平均寿命が、さらに延びたことが、厚生労働省の調べで分かりました。
女性は、86.44歳、男性は、79.59歳。平成21年の日本人の平均寿命が男女ともに4年連続で過去最高を更新したそうです。
その要因は、肺炎による死者が、少なかったという。
日本人の死因順位は、1.ガン 2.心臓病 3.脳卒中の順番で、4位が肺炎ですがその肺炎の寄与率によって、平均寿命が微増したのです。
健康な状態で、長生きできれば、日本人の平均寿命が延びるのは確かに「しあわせ」なこと。
そんなしあわせな状態が、もっと長く続いてほしいと、誰もが望む願望です。
そこで・・・
平均寿命という数字が、世代によってどう映るか、を考えてみました。
20歳台の若者が、平均寿命のこの数字を聞いてもまだまだ、遠い遠い他人事の話と思っています。
今が、我が世の春で、20歳台は「しあわせ」の上昇期です。
40歳台の中年が、この数字を聞くと、自分の年齢を引き算しておお~、もう折り返し点なのか、と少し寂しい気持ちになります。
でも、まだ半分あるよ、と安心もして、40歳台は「しあわせ」と寂しさの拮抗期です。
50歳を過ぎると、この数字は、徐々に耳に入らなくなります。
というよりも、自身の歳を考えると、平均寿命なんて、あまり考えたくもない。
でも、ふとした瞬間に、不安がよぎり始め、50歳台は「しあわせ」の減衰期です。
還暦を過ぎた当りからは、この数字は、ほとんど意味を持たなくなります。
何故なら、個々人によって、健康状態が、大きく異なるから。亡くなった同級生や知人友人の葬式へ頻繁にお誘いが掛かり、還暦過ぎは「しあわせ」の整理期です。
平均寿命以上に生きているご老人は、この数字は、虚数化します。
もうそこまでいくと、自分だけではどうしようもなく、ほとんど諦念されています。
諦めというよりは、道理を悟り、自分の人生を全うする長寿者は「しあわせ」の諦観期です。
歳を重ねるにつれて、あちこちの部品が、どこかしこで故障が出始める。
それでもなんとかメンテナンスしながら、部品を総取っ替えするわけにはいかず仕方ないなあ、と諦観期に向けて、自分の後始末をどうしようか、と諦念する。
世代によって、平均寿命の数字から受ける「しあわせ」観はかくの如く、変遷していくのでしょう。
「しあわせ」を漢字で書く時、“幸せ”と“仕合わせ”の二通りがあります。
最近は、「しあわせ」を“幸せ”と書く人が、多いように思いますが昔は、“仕合わせ”と書くことが、多かったようです。
いったい、何がどう、違うのでしょうか?
如何に使い分けたら、いいのでしょうか?
「しあわせ」という言葉の語源は動作を表す動詞の「し」と、二つの動作が交差する「合う」だとされています。
しあわせの概念が、そんな言葉から発生したことに、日本語の奥行に感心してしまいます。
幸せとは、英語で happiness と書きますが、喜びや満足のこと。
しあわせの基準は、世代で異なることは、上述の通りですがそれぞれの歳で、喜びや満足を得られていること、それが“幸せ”。
では、今はあまり書かなくなった“仕合わせ”とは、どういう意味でしょうか?
昔の日本人が、他人に仕え、そして、周囲に合わせることによって自身の喜びや満足を感じ、それが、しあわせの源流であると悟っていたとすればこれもまた日本人が、深遠な道理をついた叡智だと思います。
医師や看護師が、病人のお世話をすることを、英語では attend と言います。
診療したり、看護することが、他人の“幸せ”を導きその結果として自身も“幸せ”になるなら周りの人々を attend(お世話)することが、“仕合わせ”の源泉なのだと思います。
だから、私の「しあわせ」観は・・・
偶然のラッキーな“幸せ”より、必然のアテンドな“仕合わせ”が好き。
道理を悟り、自分の人生を全うする諦念の“仕合わせ”がよいと思う。
“幸せ”という言葉は、大好きな日本語ですが他人の“幸せ”と自分の“幸せ”が、重ね合わせることができる “仕合わせ”でありたいと思う。
ホスピタリティという言葉が、思いやりや、心からのもてなし、などの意味で以前から良く耳にします。その派生語が、ホスピタルであり、病を持つ人を保護し、癒し、回復へと導く場所を表す言葉。
相手を思いやり、手厚くもてなす歓待は特にホテルや旅館、飲食などのサービス産業で注目されています。
でもそれは、本来、病院が、持っていなければならない精神のはずでした。
病院を行き交う人が、ホテル以上に多いため現実的には、本末転倒となってしまっているホスピタリティ。
一流ホテル並とはいかないまでも、思いやりで接している医療人。
特に、私どものような零細クリニックは、不十分ながら奉仕や給仕などのサービスという視点よりリピーターになってしまいそうなホスピタリティで。
100歳以上の長寿者は、全国に2万人いるそうですがその中に、家族でさえも、生存や所在を確認できない高齢者が、相次いでいます。
どんな終末期を迎えられたか、あるいは、今迎えておられるか、と想像すると慄然とします。
私たちは、年齢に応じて変化する「しあわせ」観があっても、日常生活の中にこのホスピタリティの精神で、周囲に臨めば、長寿者への感謝が生まれ社会との絆が深まり、日々が“仕合わせ”な気持ちになるに違いない。
そんな思いを抱きながら長寿社会の「しあわせ」観を諦念した8月の上旬でした。
2010.8.8