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コラム

70. それぞれの信仰心

2015.06.10

師走の12月末は、何かと気忙しい日々です。
クリスマスイヴがあり、大晦日には、除夜の鐘をつきながら新年を迎えそして、元旦には、神社にお参りに行きます。

私たちは、それぞれの家の宗旨に関わらず、年中行事として、クリスマスイヴを祝います。
大晦日には、暮れ行く年を惜しみながら、お寺でつかれる百八つの除夜の鐘に心を鎮め新年を迎えて元旦には、お宮さまに参拝し、大願成就を祈ります。

このような年中行事としての儀式は、古くて現代に役立たないもの、なのでしょうか?
メリークリスマス、除夜の鐘、初詣と続く年末の気忙しいこの時期に、信仰心について考えを廻らしてみました。

私たちは、クリスチャンでもないのに、神の子が、人となって生まれて来たとされるイエスキリストのお誕生日のお祝いをします。
自分の誕生日でさえ、ケーキを買わない人が、何故かこの時期は、ケーキを買いたい衝動に駆られます。

1年の締め括りとして、日頃怠っていた家や仕事場の掃除をすませ大晦日には、人の心を惑わせ、悩ませ苦しめたりする煩悩を除くため、鐘をつきます。
鐘を叩くことで、私たちの心の底に沈殿していた、澱としての煩悩を振り落としその響き渡る振動によって、魂が、仏様と共鳴するような気持ちにさえなります。

新年には、太陽が地平線から姿を表わす瞬間を、新しい生命が昇る、初日として拝みます。
そして、神社にお参りして、家内安全や交通安全の厄よけのお札や、絵馬をもらい合格祈願に安産祈願と、様々な願い事を祈ります。

年末年始の私たちのこのような行動は、一つの神の存在を唯一絶対としてその教えを、終生の心の拠り所として、生きている信仰心とは、まったく無縁の世界です。

しかし、よく考えてみれば、私たちの日常の種々の場面の中でその信仰の深さは別にして、宗教的なしきたりが年中行事の儀式として目白押しです。

結婚式は、神道式かキリスト教式が多く、葬式は、ほとんどが仏式で行なわれています。
亡くなった人へは、毎年墓参りをして、年忌法要も行ないます。
子どもへは、お宮参りして七五三を祝い、桃の節句に端午の節句で成長を祝福します。

ケーキを買って、時のムードに浸り、仏様の前では、神妙に心を鎮めお宮様には、厚かましくも、数百円のお賽銭で、生活のさまざまな願いを託す。
これが、年末年始の日本人が、昔から馴染んできた宗教的なものへの平均的な関わり方なのでしょう。

特定の宗教の信徒が、抱く信念とはほど遠い、ぼんやりとして不明確な輪郭でも人知を越えた八百万を崇拝し、それにすがろうとする点では希薄な信仰心でも豊かな御心として、これもまぎれもなく、一つの信仰心だと思います。

であるとすれば、自然の前では、無力な人間にとって日本人は太古から、どうやって不安を取り除き希望を胸に膨らませて、生きて来たのでしょうか?

有限な時間しか持たない、自然の前では無力で、ちっぽけな人間にとって無限な時間を悠久として、生々流転して止ぬ、雄大で壮大な自然の姿はそのままで神以上に畏怖すべきもの、神聖なものと感じられたことでしょう。

四季の変化の中、転生する緑豊かな山林に囲まれた土地で田畑を耕し、収穫を得て、生きて来た人々にとって生産物の生育と、豊穣を「願う心」は子孫が生まれその成長を「祈る心」と同一だったのでしょう。

万物を産み育てる力と生命を継承する力が、人知を越えた神秘な力として太古の人間が、このような自然に宿る力に、神を直感したに違いありません。

だから、唯一の神が、日本では力を持ち得なかった。
一つの神教が、日本では力負けしたのは、日本人が太古から宿してきた大自然の摂理には、勝てなかったから・・・

どんな宗教家であっても、偉大なる自然の摂理の前には、太刀打ち出来ず大自然への畏敬の念は、どんな神でさえ超越することが、できなかったから・・・
だと思います。

では、私自身の信仰心は、どんな神様だとお思いでしょうか?キリスト教? イスラム教? ヒンドウー教?
いやいや、○○○の神?

私は、以前、脳神経外科病院に勤務していた頃手術に入る直前に、手術室に通じる祭殿と言われる小部屋で腹に力を込めて、沈思黙考する姿で、必ず神に祈ったものでした。

「運命の神様、今日の手術も頑張りますから、どうぞ私にお恵みをお与え下さい」と。

手術の前は、その小部屋に入り、力を込めて、神に祈るのが、常でした。
その祈りのお陰さまかは、分かりませんが手術では、再び祭殿に戻って黙考した経験は、ありませんでした。

手術室にそんな「静寂で厳粛な祈りの場」なんて、あるのでしょうか。
そして、なんという「神様」なのでしょうか。

あるのですよ、そんな静寂な祈りの場所が。
いるのですよ、そんな厳粛な唯一の神様が。

口に出して述べるのは、ちょっと気恥ずかしいのですが・・・
それは、実は「ト○レの神様」植村花菜さんも歌っています。
「ト○レには、それはそれは、キレイな女神様がいるんやで」と。

ウン気が、増すように神へのご加護をお祈りする。
私が、手術前に「ロダンの考える人」の姿で行なうルーチン・セレモニーは結果的に手術の成否には、無関係でしたが、私には、重要な儀式なのでした。

それぞれの信仰心と儀式は、現代には、古くて役立たないもの、なのでしょうか?

私には、そうとは思えません。
医者でありながら縁起を担ぐことで人や自身を励ます礎とし、心の中に安心感を与えてくれる。
先端医療と古風な信仰心は、切り離せない関係にあるのだと思います。

平成22年も終ろうとしています。
今年もたいへん大勢の人に、多大なお世話になりました。
私が関わった患者さんに、また私を影で支えて頂いた方々に心から深く御礼を申し上げます。

素敵な女神様が、皆様に訪れますよう祈念しながらどうぞ良いお年をお迎え下さい。
来年もよろしくご指導をお願い致します。

2010.12.30