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コラム

71. 新成人の若者へ贈るメッセージ

2015.06.10

1月の第2月曜日、すなわち今年は、9日が、成人の日でした。
平成2年生まれの若者が、全国で124万人、成人の日を迎えました。
本人や家族にとって、それは誠におめでたい門出の一日でした。

二十歳を迎えた新成人たちは、どんな心境で、その場に立っていたのでしょうか。
そして、どんな夢を描いて、今後の人生を歩んで行こうと考えているのでしょうか。

二十歳になった若者は、その育った20年間にも、いろいろな人生があったことでしょう。
健康に恵まれ、家庭や師の境遇、そして社会の環境にも恵まれ、20才の青春真っただ中まですくすくと、真っすぐに育った、二十歳の若者がいる一方でその真逆に、苦節して屈折した、二十歳の若者もいると思います。

どんな二十歳を迎えようとも、何はともあれ20年間生きて来れた事に、まずは、おめでとう、と心から祝福して上げたい。
どんな20年であっても、今ここに生きていることの幸福を享受して上げたい。

そして、これからの人生を、どのように生きていけばいいのか、を老婆心ながら、熱きメッセージとして贈りたいと思います。

成人式の晴やかな姿と、その裏に潜む危なっかしい言動を見ているとまだまだ成人した大人とはほど遠い、危うさがある反面でその清々しい顔つきや艶やかな装いは、初々しい凛々しさがある。
そしてそれが、成人してもう何年も経つ大人から見ると、輝いて眩しくも映ります。

壮年や老年となった大人たちも、誰もが、かつては通った同じ二十歳という時の通過門。
その大人への通過門は、やっと端緒に着いた社会への一里塚です。

成人を迎えた若者は自身の健康の問題や経済的な問題、あるいはその他の理由で晴やかな成人式には、種々の理由で参加できなかった人もいたことでしょう。

自身の健康問題で参加できなかった人
親の経済的負担で参加できなかった人
社会的な孤絶縁で参加できなかった人

成人式に参加した若者は、成人式に参加出来なかった若者にまずは、思いを馳せてほしい。
幸福である時こそ、自分が立つ位置と、対極にいる人の視点に、です。

成人式を過ぎて、何十年も経た大人たちは、通過門の二十歳の頃へ思いを馳せると歳を重ねるに連れて、そして、人生の晩年になればなるほど気付かされることが多いと、諸先輩が、語ってくれています。

それは、歳を取ることによる年輪が、生み出す厚みだとすればまだ二十歳の若者には、理解できない感慨かもしれません。

それは、歳を取ることによる堆積が、生み出す渋みだとすればまだ二十歳の若者には、味覚できない苦味かもしれません。

その計り知れない無量な、身にしみて思う感慨と苦味とは・・・

 「季節の草花や樹木が、これほど美しかったと
  歳を取るまで、あまり、気付かなかった」と

 「季節の草花や樹木の命、そして人の生命さえも、これほど短かったと
  年齢を重ねて、初めて、気付かされた」と

 「季節の草花や樹木、そして一里塚の二十歳が、こんなに眩しかったと
  年月を振り返って、つくずく、気付かされた」と

多くの先人たちは、このような心境を、私たちに語ってくれています。
この思いは、二十歳という年齢では、理解できない、深い心境かもしれません。
太陽が照り付ける夏と荒涼とした冬が、繰り返される一年で伸長する年齢という年輪と身丈。

では、二十歳の若者は、これからの一年一年を、どのように過していけばいいのでしょうか。

二十歳となって、独立した一個人として努力する限りは、迷うのは当然であるしまた迷うことが、まじめで誠実な生き方だと思います。

けれども、そのような認識をもった生き方とは、対照的に重要なことは、あれやこれやと余計なことを、あまり考えず目の前に与えられたやるべきことを、きっちり、しかもマメに毎日こなす根気力を、まず最初に、鍛えていくことだと思います。

成人してからの人間関係は、人から期待されていなければ、広がって行きません。
むしろ、熟練者になればなるほど、毎日をこなす根気力をしかも長く継続する力によって、他人から求められる期待度が増しその関係は、さらに深化していくものと思います。

だから、人とどうやって上手に、いかに良好に付き合っていくか、と考える以前に自分が、いかに必要とされる人間になるか自身が、どれだけ価値のある人間になるか、が成人してから、社会人としての人間関係の骨格だと思います。

人に役立つ人間になる、それが所属する職場の役に立つ。
ひいては、結果として社会貢献の端緒に繋がる。
毎日をこなす根気力を持続しながら自分自身の『相対的存在価値』を高める努力が、必要だと思います。

仕事を成就していく上では、二十歳まで20年間で培って来た、居心地のいい友達関係とは異なる人との繋がりとなって来るでしょう。
そこでは、自分が何を持っているかが、人から見られているのです。

この相対的存在価値を向上させる努力の必要性は仕事を行なう上で、終生変わらないはず。
生涯を通じて、錆び付かせてはいけない生き方です。

私自身の信条として・・・
来る人は拒まず、去る人は追わず、一期一会のご縁として寄って来られる人とは、誠実に、しかもつつがなく交際をしつつこちらの身に害を与えない限り、相手を恨むには及ばず、ただ近づかないようにする。

そして、一度、信義に親交を結んだ仲には、誠心誠意、真剣に相手のためになるように、とことん親密な交際を生涯続ける。

こんな接し方をして来ましたが、間違いのない生き方だったと述懐します。

二十歳までの、小学、中学、高校、さらには大学と学舎で交えた「学友」と二十歳からの、仕事仲間として釜の飯を食べて、苦楽を伴にした「戦友」にさらには、仕事を通じて知り合った、職業上の、共存関係にある「知友」は

自分を高め、志を同じくしながら、時に励まし、助け合う知己であり切磋し琢磨する、自分をよく知ってくれている、有り難い『朋友』です。

このような朋友を、一人でも多く持ち相対的自分の存在価値を、僅かでも向上させることが成人した後に起こる予期せぬ不条理に、負けない底力を作るのだと思います。

自分探しという言葉をよく耳にします。
自分が、いったい何ものかを考えることは、大切ですが自分探しに時間を費やすのは、そこそこにした方がいい。
むしろ、時間の無駄と心得た方がいいかも知れません。

先者から見ると、自分の才能を見極めるよりも現実を切り開いて、一歩でも前に進めて行くことの方がずっと重要に思えます。

生き甲斐を見出すために、あれこれ考え、逡巡しているよりも自分が、現実に突き付けられた問題に、どう動いていくか『決断』を積み重ねていく経験知でしか、現実は開けないのですから。

現状を打開していくためにまず真っ先に何をすべきかを、意識下に選別していくことで仕事が、展開していき、豊かな関係が、築かれるのでしょう。

そんな決断をしていく日常生活の中で、将来の基盤となる伴侶と巡り会い一緒に歩んでいく決心も、できるのだと思います。
家庭を築き、子どもを育てていく過程が、人間性を深める礎でもある。
どうか、前途ある若者に、いい巡り合いが、ありますようにと願います。

そして、優位な地位にいる時こそ、あるいは、幸福な家庭に居ればこそ不幸にも一人身で孤独な人や、子どもに恵まれなかった家庭、家族を亡くした家庭にも暖かな眼差しを持つ人間に育ってほしい。

新成人へ贈る
 自身の『相対的存在価値』の向上・・・
 切磋して琢磨する『朋友』の存在・・・
 『決断』を積み重ねていく経験知・・・

この三つメッセージは、二十歳の通過門を遠くに過ぎた私たちにはとても頭が痛い言葉です。特に糊しろが、より少なくなったあるいは、ほとんど無くなってしまったと感じる大人(・・・私)には。

でも、若者にこのような熱いエールを送りながら余力が、年々下降していく私たちは、社会で目立たない立場でも高所から社会を俯瞰しつつ、限りない低い視点から個と公を捉える思考を、持ち続けていたいと思います。

年末から巻き起こっている、タイガーマスク「思想」が一時の「現象」に終ることなく、これからも、社会の根底に根付くことを念じ新成人の若者へ、蔭から贈る熱きメッセージでした。

2011.1.19