72. 此岸町1丁目1番地
ー「がんばろう・日本」と「やり切ろう・人生」ー
3月11日、午後2時46分。
誰もが、記憶に刻まれたこの日時に、私たちは、どこでどのように過していたでしょうか。
そして、数ヶ月経過した現在、更にこれからの未来を、如何にして過していけば良いのか。
震災後、4ヶ月以上が経過して、世の中の動きを眺め、多くの人たちの思いを聞きそして、日常の診療が継続出来て、今ここに生きている有り難さを痛感しながら思考を巡らしてみました。
震災当時、私は午後の診察が始まった直後であり撮像した MRI 画像を患者さんに説明している真っただ中でした。
突然、窓がギシギシと音を立てながら、診察机が大きく左右に揺れましたがそのうち、揺れは収まるだろうと高を括り、患者さんを横に平然と説明を続けていました。
ところが、全く収まる気配はなく、その後の事態が、今日のこのような状況に至るとは。
東日本大震災がもたらしたもの・・・
それは、人の不条理な死であり、物の不条理な喪失であり、そして人生の不条理な運命でした。
まさに人の意思では制御不能な、絶望的な状況として、不条理だらけでした。
身近な家族や知人を失った時
今まで積み上げて来た大きな財産を失った時
そのようなとてつもなく大きな悲しい運命に襲われた時に
私たちが、賢人であるならば、その大人の振る舞いとしてこのような不条理に、どのようにして対処しそこからの理不尽を、如何にしながら消化しあらゆる試練に対し、どう向き合って昇華しさらに乗り越えていけば良いのでしょうか?
如何なる精神的修行を積んだ、行者や宗教家であっても
如何なる肉体的鍛錬を重ねた、豪者や運動家であっても
この途方もない命題の解を、簡単に提示できる人は、だれ一人としていないでしょう。
そんな命題へのわずかな糸口を探していた時最近読んだ本の中から「セレンディピティ serndipity」という言葉を知りました。
この言葉は、昨年ノーベル化学賞を受賞された根岸英一さんがシンガーソングライターの松任谷由実さんと対談されている中で使っておられた言葉です。
セレンディピティとは、英語の辞書にはない造語だそうですが、その語義は「何かを探している時、探しているものとは別の価値あるものを発見する能力や才能を指す言葉」だそうです。
何かを発見して得られた獲得物ではなく、何かを発見するための潜在能力を指します。
これをもっと普遍的に言えば
「日常的な平凡な生活の中から小さな仕合わせを見出す能力」
そしてさらに言い換えれば
「そのフッとした偶然のチッポケな閃きを仕合わせと感じられる素朴な感性」
とも言えそうです。
90歳を過ぎてから詩を始め、自費出版した処女詩集「くじけないで」の著者柴田トヨさんは、まさしくセレンディピティある人と言えるのではないでしょうか。
根岸さんは、松任谷さんとの対談で次のように語っています。
「残った我々は、悲しみを深めていくことより
自分の守備範囲の中でやるべきことを続けて行くしかない」
・・・
「続けているうちに、またその過程を噛みしめられる時が、必ず来るだろう
大きな不幸があっても、それでも人生は続く Life must go on ! 」と。
この言葉の意味を知った時
私は、途方もない運命を背負った人が、苦しい日々を続ける中でもふとした偶然のチッポケな輝きに、幸せを感じてほしいと、切に願いました。
そんな感性を鈍らせないでほしいと、心から思いました。
人の幸不幸は、体重計で量れるものではなく、仕合わせに均質な幸福はないと思います。
そこに必要なのは、たまたま巡った偶然を好しと感じ取れる感性のみです。
如何に歳老いても、如何に奈落の底にいても、この感性は、錆び付かせてはいけない。
90歳にして、感性を鈍らせていない柴田トヨさんは、まさしくお年寄りの見本です。
今、日本は、あらゆる分野で覚醒と再生に向けたヴィジョンを求められています。
震災以来、叫ばれている「がんばろう・日本」は、今の最大公約数的なメッセージである。
ただ、この言葉もいずれは、時間と伴に風化と直面することは避けられず人々の心の底に眠っている鐘を鳴らすために、強い訴求力ある新しい象徴語が望まれます。
私たちは、今後
日本国を遠視眼で見る大局的観点と、被災地を近視眼で見る局所的観点を複合しながら心の釣り鐘を揺り動かす新しいメッセージが、必要となるでしょう。
幼い頃から有り難うを言われる嬉しさを体験している者は「してもらう仕合わせ」と同時に「してあげる仕合わせ」にも心地よさを感じそれが、仕合わせの循環となって、大人の振る舞いとして身に付いていく。
この「してあげる仕合わせ」を少しずつ積み重ねて他人の事を自分の事のように喜べる人間へと、さらに成長することができれば私たちの人生は、より豊かになると思います。
この震災では、途方もない人が、亡くなりました。
その一人ひとりの霊魂は、残された親族の心の底に深く刻み込まれています。
残された親族も、何らかの理由によって、宿命としていずれはどこかで必ず亡くなるはずです。
今まで人類史上、亡くならなかった人は、誰一人としていませんから。
だから、自分がいつ死ぬかなどと心配しなくてもよい。人類の致死率は、100%。
いずれは必ず死にますから、安心して暮らしましょう。(・・・?)
被災で残された者が、いずれ天国に行った時すでに亡くなった父や母、夫や妻、あるいは子どもたちから彼岸で何と声を掛けられたいかと想像すると私なら、3年半前に43歳で亡くなった妻にこんな言葉を掛けてもらいたい・・・
「この世で、あなたがやりたい事を、十分やり切りましたか?」と。
そして、私は、妻に次のように答えたい。
「うん、ボクがやりたい事は、この世で十分やり切って来たよ」と。
天国では、すでに先輩格に当たる妻は、広大な天空の道案内をしてくれるため彼岸の入り口にある彼岸町1丁目1番地まで、迎えに来てくれることだろう。
そして、私は、短かった妻の人生を代償に、その掛替えのない支えによってこの世で悔いなくやり切れた事に、感謝の気持ちを伝えることだろう。
私たちは広漠として理解する「がんばろう・日本」という、外への静的な共通イメージの中に了然として挑戦する「やり切ろう・人生」という、内への動的な新メッセージを込め豊かな生涯になるために、それぞれの此岸町1丁目1番地、即ち最優先課題を見つけ一日一日歩むことが、必要なのではないでしょうか。
広漠とは、はてしなく遠く広いさま
了然とは、はっきりと良く悟るさま
彼岸町1丁目1番地は、いったいどこにあるか・・・
私は、まだ行ったことがないのでその詳細は知らない。
此岸町1丁目1番地は、いったい誰の所有地か・・・
私は、それぞれの心の敷地内に秘められていると思う。
「しあわせ」という言葉は、人々が、お互いに仕え合う意味であえて「仕合わせ」と私は書きたい。
不条理な運命で亡くなられた人びとのご冥福を改めて祈りながら人の生死と生き様について、そんな思いを巡らした震災後の4ヵ月でした。
2011.7.24
彼岸(ひがん=あの世)
此岸(しがん=この世)
1丁目1番地(=原点)