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コラム

74.作用と反作用の共鳴力

2015.06.10

12月31日、大晦日。
熱い夏が終って、あっという間に秋冬となり、今年もあと数時間で終ろうとしています。
そして普通のように翌朝になると、また新たな一年が始まる時を迎えようしている今この1年間の日常を通して感じたことを綴っておきたいと思います。

今年を象徴する漢字が、「絆」に選ばれたように東日本大震災発生後は、この言葉が盛んに使われました。
この漢字は、私たちの日常生活の表層であまり意識しない地下の奥底に埋まっている根っこを震災という激烈な鍬によって掘り起こしてくれたように思います。

では絆とは、いったいどのような意味なのでしょうか。
言葉の語源は、動物を繋ぎ止める綱のこと。
人が、動物を思うがままに動かすための道具としての綱が、当初の絆。人と動物の主従関係を示す道具が、「繋がれている」綱でありその象徴として「繋がる」という言語の始まりが、絆だったのです。

この言葉が持っている初期の意味合いは今私たちが遭遇している環境の中で使われている絆の語感と多少の違い、いやむしろ大きな差異があるように思います。

絆という漢字をもう一度よく見直してみると左に位置する偏は「糸」であり右に位置する旁は「半」となっています。

この言葉の語源は、動物を縛る単なる綱が出発点だったとしても綱を引いたり離したりする強弱や綱を振動させたり静止させたりする振幅によって動物も反応することを見通した言葉だったのでしょう。

「糸」は、一方方向に相手の力加減に関係なく引っ張り過ぎると切れてしまいます。
双方の力の相対を考慮しつつ半分は引っ張りながら、半分は引っ張れながら半分半分の意味を込めて、繋がる結び付きを重視して「糸」+「半」と書くのではないか。
2011年の今年の漢字に絆が選ばれた時、私はそのような思いを抱きました。

この漢字が、今年の象徴語として発表され、そしてその意味を考えていた時私は、もう一つの言葉が頭の中に思い浮かびました。

その言葉とは・・・
「半学半教」という言葉です。

この言葉は、今はほとんど使われなくなって馴染みのない用語ですが江戸時代から明治初期にかけての教育機関でよく使われていたものです。
特に経営基盤の弱い民間私塾においては、もっとも一般的な教育形態でした。

江戸時代に寺子屋式教育から明治時代になっても教育機関が未熟な社会では、学生が教育されながら同時に教育もする。
個々には学生にして、集団には教師の役割も兼ねるという半分学びながら半分教える半学半教の仕組みが、ありました。

この形態は、社会が未成熟な段階では当然で教育効率としても不可欠なシステムだったのでしょう。
でもよく考えてみれば、半学半教という概念は教育という場に限ったことではなく、社会に出てからも人間が行なう遍く行為では当り前とされるものだと思います。

数年前 、半学半教という言葉とその意味を知った時、当り前と思いつつ12月に、絆という言葉の語源と裏にある意味を理解し私たちの生活は、常に作用と半作用の狭間で生かされているのだと気付ずかされます。

私は・・・
 日常の診療の中でご来院頂く患者さんから学び、そしてその経験の中から
 教科書に立ち戻って知識を吸収し、おこがましくも医療を担って来た。

 日常の仕事の中で職場で働く多種職員から学び、そしてその経験の中から
 役に相応しい適切な仕事を按分し、おこがましくも業務を担って来た。

 日常の生活の中で日々成長する子どもから学び、そしてその経験の中から
 威厳なき親の器の狭量さを反省し、おこがましくも親業を担って来た。

このようにあらゆる局面場面において物理でいう「作用と反作用の関係」のようにお互いに共鳴しながら生きている力になっているのだと思います。

絆という言葉の意味を考えた時、半学半教という言葉もまた私たちの日常生活の土の中に埋もれた根っこ力だと思いました。

震災では、多くの人が亡くなりました。
親族縁者でない私のような路傍の者でさえ今でも哀悼の意を捧げつつ・・・

死と何か、生きるとは何か、という重いテーマは健康な時から老化について一人ひとりが、勉強して自分で考えなければいけないことだと思う。

喪に服し法要を営むという行為についても亡くなった人を少しづつ心の整理箱に仕舞い込んでいく作業ですが忘れ去るための儀式ではありません。

亡くなった人への強き思いを一生胸に刻むことであり自身が、勇気をもってまた前に歩み出す決意を固める日なのだと思います。
人は、生きている限りにおいて前進あるのみですから。

今年も1年間、多くの人にお世話になりました。
患者さん、職員の皆さん、業者の方々、友人知人そして家族や親族に助けられながら仕事が出来ました事を心から御礼申し上げます。

私が関わった多くの皆様が来年も健康で幸多いことを祈念し、今年最後のコラムと致します。
来年もよろしくご指導をお願致します。

2011.12.31