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コラム

52. マネー・リテラシー*の礎

2015.06.09

*literacy=能力・知識・教養

昨年9月、リーマン・ショックに引き続き資本主義の世界経済が、破綻して1年あまりが、過ぎました。

私は、金融に関する知識がありませんので、破綻に至った理由や経緯が、如何なるものかそして、その結果招かれた混乱や影響が、どのようなものか、を熟知していません。
(実は、この2年ほど前まで、お金のことは、人任せ・・・
自身で銀行へ行ったことが、ほとんどありませんでした)

世界経済が、巨大化するにつれてというよりも、個人が扱えるお金の過多によってお金の動きは「目に見えない影の力」により動かされると言われます。

破綻した理由や経緯は、熟知していなくてもその「目に見えない影の力」とは、一体何だろうか?
と考えてみると、それは、限りないお金への「欲望」だと気付きます。

お金に対する欲望がない人は、誰一人としていないはず。
お金は、あった方が、いいと言われます。そして、私たちは、多くの人がそう思います。

実際に、あった方が、生活は楽になり、身も心も豊になります。
お金が、ないことで不幸になる現実を前にすれば、あった方がいいに決まっている。

ある調査によると、今一番ほしいものは、何ですか?と尋ねると老若男女と問わず多くの人は、「お金」と答えるそうです。
今やお金は、人々の夢になり、人生の目的となり、価値の基準になってしまいました。

多くの人たちは人が、お金を持っているか否か、収入が多いか少ないか、でその人を評価し物が、お金を生むか生まないか、儲かるか儲からないか、でその物を評価する。

すべて損か徳かに判断基準を置き、行動を決定するようになっている。
そのこと自体は、もの事を判断する上で、大切な一つの基準ではあってもお金がすべて、という風潮の行き過ぎた結果が昨年のリーマン・ショックだったのでしょう。

お金は、それ自体に価値が、あるわけではない。
人がつくった経済上の約束事として、いろいろな価値と交換できる流通の便宜から考え出された単なる道具である。

つまり、お金とは、物の価値を計るための手段でありリンゴを切る時に使うナイフのような道具に過ぎない。

人や社会のために使われ、世の中を循環して、人に仕合わせを運ぶもの。
本来のお金の役割は、そこにあると、誰もが知りながら・・・
いざ自身が得たお金との付き合い方といえば、とても難しいものです。

よく切れるナイフが、あったとしてリンゴを食べるために、切れるナイフは、あった方がいい。

でも、猟奇的殺人者以外に使わないナイフをたくさん趣味で持っていても、仕方ないと考えるのが、通常ですが、お金は、持つことが、目的化しやすいのです。

お金に執着して、金銭を至上のものと考える人にとって果たして、どれだけお金があったら満足するのでしょうか?

現在収入の2倍か・・・ 3倍か・・・ 10倍か・・・
あるいは、それ以上?
おそらく、どこまでいっても、満足することはないでしょう。

「幸福とは、満足する状態である」とすればその人は、永遠に幸福を得ることはできないばずです。

でも、現実として稼いだお金は、自分や家族のために使いたいのは、当たり前汗水垂らして働いて得たお金の使い道には、自ずと優先順位がある。
その夢をわずかでも満たしていくために、最低限のお金が必要です。

孟子は、次のように述べています。
「恒産(定まった収入)ある者、恒心(倫理心)あり
 恒産なき者、恒心なし」と。

経済的な安定がないと、身も心も落ち着かず安定した状態を維持することができないという意味です。

そして、収入が、増加し、預金残高が、増えることの意義は・・・

欲しい物を買うために、目的を叶えるためにお金という手段を得ることによって「選択」の枝が増えること。
と同時に、増えた選択肢によって精神的な「余裕」の幅が生まれることである。

必要なお金には、「優先順位」があり十分なお金には、「選択」の枝と「余裕」の幅によって「深懐暖志」(深い懐と暖かい志)が生まれるのだと思います。

そんな通常の気持ちを持ちながら道具であり、手段であるはずのお金を目的化しないようにお金と仕合わせが、ほぼイコールと錯覚しないように私たちは、お金との距離感を適切に保つ必要が、ありそうです。

では、お金に対する欲望に如何に対処すべきか・・・

お金で買えるのは、結局、欲望だけ、と知りつつ上手に使えば、最大限に役に立つ道具という捉え方をし適切な近ず離れずのスタンスを保ちながら、それ自体には執着しない。

今、私たちには、そんな叡智が問われている時代なのではないでしょうか。

ならば、お金を如何に「つかう」ことが必要なのかと考えるとそのお金の「使い方」は、敢えて「遣い方」と言い換えてもいいように思います。

お金の「使い方」と・・・
お金の「遣い方」は・・・どう違うのか?

 「使う」とは、人や物ごとを動かす意味
 「遣う」とは、心や気持ちを働かす意味

貨幣やお札の役割はその表層は、人や物ごとを動作し、「使役する道具」であってもその深層は、心や気持ちを労作し、「感謝する仕者」でもある。
そんな大きな役割を有していると気付きます。

お金は、人々を仕合わせにする道具ではあるけれどそのお金は、自分のため、人のため、社会のため自身を含めたより善い人生のために用いてこそはじめて本来の働きをするもの。

だから・・・
お金は、人が造った約束事、交換や流通の利便から考え出された道具ではあるけれどお金は、人の心を乗せて、初めて本来の働きをするのだと思います。

自身のことを述べるのは、気恥ずかしいのですが人として、おもいっきり「我執」を抱えながらある出来事から、自らの「固執」を突き放すようになりました。

それは、いくら努力しても、如何に頑張ろうとも
自身があの世に、お金を持って行くことが、できない・・・と
故人に、お金を届けることが、できない・・・と

高価なもの、贅沢なものより、価値あるもの、高貴なものがあると過去の忘れ得ぬ出来事が、知ら示めしてくれた。

今、医療を通して、お金を得ている者として医療を提供することで “ ありがとう ” とともにお金を手渡されそして、そのお金を使わせてもらうことでやって来た。

そういうことを、改めて思い返すとお金とは・・・  “ 感謝集めの切符 ”を配ることだと思います。
お金儲けとは・・・“ 恩返しの好循環 ”を回すことだと思います。

私たちは、どうしたら人から、もっともっとありがとう、を集められるのか私は、一人でも多くの人から、このような医療を提供してくれてありがとう、と思ってもらいその対価として気持ちよくお金を払ってもらえるのか。

それらを考え抜くことが、今、私たちに求められているマネー・リテラシー(=お金の取り扱い能力・知識・教養)の礎なのではないかと思います。

さて・・・
親愛なる、そして敬愛する「福澤諭吉」さま多くの人の懐を、ご躊躇なく、思いのまま、お暖め下さい。

そして、最後に・・・
そのお姿をよくよく拝見すれば眉間と、左鼻根部のホクロが、愛くるしいお顔と優しい眼差し。私の懐にも、ご遠慮なく、思いっきり、飛び込んで来て下さいね。

2009.10.11