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コラム

78. 3つの「送別」と「大恩」循環型社会の中で何を循環させますか?

2015.06.10

横浜市医師会報では、『ペンリレー頼んでいい友』という連載が、横浜市医師会に入会している医師によって28年前から続けられています。私は、第317回(317人目)の寄稿となりますが、平成25年8月号に掲載された拙文をそのまま転記しました。

3つの「送別」と「大恩」
循環型社会の中で何を循環させますか?

        青葉区 古市 晋

 別れる人を見送るのは、日本語では送別と言い、英語では farewell と書きます。私たちは、生涯の中で他人を送別する機会は、いったい何回あるでしょうか。あるいは逆に自分が送別される時には、どのような心境になるのでしょうか。人が生まれて死ぬまでの人生の節目の中で大きな別れの日は、少なくとも3回あると思います。

最初は、机上の勉強を終えて学舍を飛び立つ卒業式
還暦後、組織の役割を終えて仕事を退任する退職日
最期は、生物の寿命を終えて現世を退場するお葬式

循環型社会の中で人生の転機における「送別」と「大恩」について送る立場と送られる立場の視点から考察してみました。

人は、どのような人も一つの「家族」の元に生まれ、その家族と共に生活する「家庭」の中で育てられて来ました。生まれながらにして不幸な出自の人が、残念ながらいつの時代もどの国のどの地域にも存在するのは確かです。しかし多くの人は、生後から衣食住の生活や風俗習慣の場を家族とともに過ごし、そのことで肉体や精神を形成します。同じ種族となり人間として現しめる「種子」が家族であり、そして耕す庭場となり人間として成長させる「培地」が家庭です。

永遠の時間と無限の空間が、この大宇宙の中で交差する奇跡の一点で結ばれた家族は、かけがいのないとても大きな存在です。私たちは、その家族の意義を頭で理解していても失って初めてその存在の重さに気付かされます。そのことに改めて思いを致す時、私たちは、家族一人ひとりの存在に「愛おしさ」とその家族が一緒に生活できる家庭に「有り難さ」を感じない人は、誰一人としていないでしょう。

そんな大切な家族がいる家庭の中で家庭内暴力や家庭内離婚、そして幼児虐待や育児放棄が年々増加しています。究極は、結婚しない男女の増加や結婚願望があっても種々の事情で結婚に至らない人が増加して社会の最小単位である家族そのものが形成されにくくなっています。家族が、健全に機能してこそ学校や職場、あるいは地域社会、さらには地方や国へと大きな単位も調和して円滑に働くことを理解し十分承知しているはずなのに。

健全に機能している家族とは、衣食住の場である家族、そして精神の源である家族、さらに社会的信頼の拠である家族の皆が等しく「調和」した姿です。家族のそれぞれが、一人ひとり個性を発揮して感謝の心を持ってお互いに尽くし高め合っている「愛和」な家庭です。先の震災で家族と故郷を失った人たちが、「調和した家族」と「愛和した家族」の先にある地域の絆の大切さを訴える姿は、今さらながら心を打たれるものがあります。

そんなことは、改めて指摘されるまでもありませんと多くの人から言われるかもしれません。人それぞれの事情や異なる生活がある中でどの人も生涯で共通している私的な「節目」とは何かと考えると、「学舎を卒業」する時と「仕事を引退」する時、そして最期は「この世から去る」時です。ではそれぞれの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神は、いったい何でしょうか。どのような心境になるのでしょうか。

多くの人々は、幼少時から成長する過程で無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けてきました。「・・・のようになりたい」という憬れとなる手本を持つことでその人のモチベーションを高め、自らの行動を律するきっかけになっていました。私たち医師は、医学部に入学までは、崇高な医者という絶対化した職業に憬れ、入学後は新しい境地で医者という職業を客観化し、医者になった後は、現実化した世界で理想との乖離で悶え苦しんで来ました。

親から授かった資質を基礎に学生時代には、大学教授をはじめとする多くの先生や現場スタッフの先師の謦咳に接し、卒業後医者になってからは、病気のみならず社会を学ぶ場を患者を通じて与えてもらっています。新米医から熟練医となる過程で患者の命によって私たちが勉強する貴重な機会を提供してもらい、そして一線を退いて引退した老巧医となっても患者が師であることに何ら変わることはないでしょう。さらに言えば、医者自身の親族の死もまた患者を取り巻くご家族の心情を深く思いやる無言の機会であったと後から気付かされます。

私は、6年前開業して半年後に43歳の妻を血液の癌で亡くしました。5ヶ月間の闘病生活の後亡くなった慟哭の瞬間は、我が身を引き裂かれる思いでありました。妻亡き後、母とともに生活を支えてくれた86歳の父が、今年1月に急性心不全で急逝しました。いずれもかけがえのない存在であった家族の死は、誰もが必ず訪れる最期の別れが哀切に満ちた瞬間であると同時に恩に対する感謝の思いが今も深く胸にこみ上げて来るのです。

苦しかったであろう闘病生活の中を開業直後の気苦労をかえって私への気遣いをしながら無言で耐えていた妻の笑顔を思い出し、今闘病生活をされている患者さんの心情を推し量る。退職後に趣味から芸術の域にまで達していた陶芸や切り絵、版画などの芸術作品を見知らぬ土地で少しでも癒やしの待合室作りのため提供してくれた言葉数の少ない父の青白い顔を思い出し、不自由な体を押して通院される高齢者を診察しては老境の辛さを思いやる。

卒業、引退、葬式の三つの転機で私たちの心の奥底から沸き起こる精神とは、まさしく「恩に対する感謝の心」だろうと思います。恩という言葉は、日常ではあまり意識に上って来ませんが、送別という体感が恩という意識を覚醒してくれます。真の恩とは、いかなる返礼も報いも期待しない慈しみの心から沸き起こる純粋な無償の行為です。いずれの別れの機会にも共通している恩の対象とは、「親」であり「師」であり、そして「社会」でありました。

来る人を迎え入れるのは、日本語では歓迎と言い、英語では welcome と書きます。私たちは、この世に「両親」から welcome (ようこそ)と笑顔で迎え入れられ、多くの「師」から fight (頑張れ)と温顔で励まされて成長します。そして最期には「社会」から farewell (さようなら)と涙顔で労をねぎらわれてこの世を去って逝く。送別される時私たちの根底に去来する心境は、紛れもなく「三つの大恩に対する感謝の心」であるでしょう。

私たちは、循環型社会の中で何を循環させますか?と問われてその内容を論じる時、必ず有形の資源が一つのテーマとなっています。しかし私は、「感謝の恩返し」という無形の伝承が、もう一つのテーマとして循環の輪に加わることで時代が変化しても社会が未来永遠に推進する力となると思います。時代が新しくなっても医療の根底に大切なことは「多様性の中の調和」、そして社会の根源で必要なことは「愛和ある感謝の好循環」ではないでしょうか。

最後に今年1月に父が急逝した際に昭和大学藤が丘病院救命救急センタ-で大変お世話になりました。ご尽力頂きました方々にはこの場をお借りして深く御礼申し上げます。このペンリレーは、私のような末端の医者から大学トップの昭和大学藤が丘病院 院長真田裕先生にお願いしました。頼んでいい友などと気軽に申し上げる関係ではけっしてありませんが、日頃気さくに接して頂いてる大好きな先生です。ご多忙の中をご快諾頂きましたことを深謝致します。

古市晋先生から「(恐る恐る」お願いしてもよろしいでしょうか?」
真田裕先生から「(しばらく間があって)いいとも!でもこの貸しは大きいですぞ」