82.人生100年時代に「君たちはどう生きるか」
2018.02.07
昭和12年7月刊行された吉野源三郎著「君たちはどう生きるか」は、平成29年夏に単行本と漫画本を同時に再版されました。現在二つ合わせてミリオンセラーになっていますのですでにお読みになった方も多いのではないかと思います。著者の吉野源三郎氏は、明治32年生まれで昭和56年82歳で亡くなりました。児童文学者であると同時に雑誌「世界」の初代編集長で岩波少年文庫の創設にも尽力され、児童文学者として子ども達を育成する視点も持ちながら雑誌の編集長として手腕を発揮された方でした。
吉野氏が著した「君たちは…」は、日本少年国民文庫全16巻シリーズの最終巻で成長盛りの若者に語りかけた日本を代表する歴史的名著と言われています。物語は、主人公のコペル君と叔父さんとの間で交わされた会話と叔父さんノートによって展開していきます。父親を亡くしたコペル君のために母の実弟で大学を出てまだ間もない法学士の叔父さんが、甥っ子の成長を願って考えてほしいことや伝えきれなかったことを一冊のノートに書き溜めていきます。記載された叔父さんノートは、いくつかのテーマについて答えを提示するのではなく、物事を深く洞察し考えるヒントを与えてくれます。
この作品が刊行されたのは、昭和12年ですから第二次世界大戦が、始まる2年前です。その頃の世相は、国外にはアジア大陸へ侵攻を始め国内では戦争へと突き進む重たい空気が広がっていました。自分では、どうしようもない社会全体の流れが、個人の自由を奪い抑圧された時代でした。主人公のコペル君は、多感な14歳で中学2年生です。当時の中学校(旧制中学校)は、義務教育ではありませんので試験を受けて進学した少数派エリート層でした。多くの子供たちが、尋常小学校か高等小学校で学業を終えていた時代に中学校に在籍していたコペル君は、叔父さんとの交流の中からものの見方について学んでいきます。
昭和12年に刊行された著書ですのでコペル君は、おそらく大正終わり頃の生まれではないかと想像されます。今生きていればおそらく90歳前半の高齢者となっていることでしょう。高齢となったコペル君が、90歳代の視点から今の世の中を見たらいったい何と語りかけてくれるでしょうか。そんなことを想像していた時、「君たちは…」の再版と同じ昨年夏頃に刊行された五木寛之著「孤独のすすめ」と昨年年末に刊行された「百歳人生を生きるヒント」は、人生後半の生き方について私たちに多くの考えるヒントを与えてくれます。
五木氏は、昭和7年生まれの86歳で今も現役で活躍されている作家です。生後間もなく教師の父の赴任に伴ない朝鮮半島に渡り子供時代を過ごされています。村の小学校では、現地の子供たちと見えない壁があり、父が管理していた学校の図書館の本を読み耽ることが唯一の楽しみだった。そんな背景からか含蓄ある哲学で著された「青春の門」をはじめとして「大河の一滴」や「林住期」あるいは「親鸞」など多くの著書を読まれた方が多いのではないかと思います。
著者は、「孤独…」の著書で老齢期に「春愁という感覚」の大切さに触れています。秋という字の下に心と書いて愁(うれい)と読む漢字の頭に春を置く「春愁」とは、うららかな陽気な春の季節になんとなく「わびしく」気持ちが「さびしい」ことを意味します。春愁とは、悲しみや失望とは異なるなんとなく心が晴れない漠然とした不安定で情緒的な陰性感情です。
五木氏は、この著書の中でその愁いがはっきりと見えてくる人生の後半や最終章に至った高齢者は、むしろそれを自然にあるがままに受け入れるという生き方がいい。不安が重なる人生の最後の季節を穏やかにごく自然にあるがままの現実を認め春愁をしみじみと味わう。そのような心境は、高齢になって初めて得心できる感覚なのかも知れません。しかしこうした境地は、まさに高齢者ならではの「社会が求める賢老という生き方」ではないか。五木氏のこれらの指摘は、私が日頃診察室でお目にかかる高齢になられた患者の中で目指す一つの高齢者像と重なります。
「百歳人生…」では、五十代から百歳への道のりという大きな課題で後半の五十年を生き抜くヒントを塾考しています。人生五十年と考えられていた時代に信じられてきた人生観や死生観の転換が求められている。人生100年時代にふさわしい生き方や人間性についてあらためて再構築し「新しい人生哲学を打ち立てる」ことが必要ではないか。五木氏は、そのための準備の大切さを述べています。五十代の事はじめ、六十代の再起動、七十代の黄金期、八十代の自分ファースト、九十代の妄想のすすめ、などいずれも鋭く深い洞察力が詰まったこの著書は、私たちに多くのことを考えさせる糸口を与えてくれます。
そして私たちは… 吉野氏から青年層に向けた「君たちはどう生きるか」という素朴な投げかけと同様に90歳代になったコペル君から壮年や老年層に向けて「私たちはどう生きますか」と問いかけられるとなんと答えるでしょうか。人としての生き方、あるいは往き方、さらには逝き方は、それぞれの道があると思います。発展途上の人間と円熟した人間、あるいは退潮期にある人間では生き方は自ずと異なるはずです。今まで付き合ってきた仲間との関係、今まで経てきた社会との繋がり、今まで育んできた家族との結び付き、それらに対する答えは一様ではありません。人生100年時代と言われる中で五木氏の著書から多くの手がかりをもらいつつ、それぞれに折り合いを付けながら模索していくことになるのでしょう。
私たちは、明日からの健康ために今日一日を明るく元気に、そして何よりも大切なことは年齢に関わらず準備をしていかなる時も「聡明に生きていく」…そんな賢人でありたいと思います。 2018.2.6 (以上の拙文は、平成30年2月号青葉区医師会巻頭言を加筆訂正して掲載しました)