野村克也氏と橋田壽賀子氏の対談から学ぶ「老境の仕事と幸せ」とは…
2020.02.22
野村克也さんが、2月11日に急逝されました。生前自らを「王や長嶋がヒマワリなら私は月見草」と称して多くの著書を残されました。月見草の英語の花言葉は、無言の愛情です。示唆に富む多くの著書は、まさしく無言の愛情からの発露だったように思います。
令和2年2月号青葉区医師会巻頭言に野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談について記載しました。野村さんのご逝去にご冥福をお祈りいたしますと同時に多くの著書から深い学びに感謝し拙文を掲載します。
「仕事と幸せ」の関係…
老後の自分をイメージしデザインしていますか?
「仕事」について昨今叫ばれている働き方改革は、「医師の仕事」に対する取り組み方と「ヒトの幸せ」に対する捉え方について考えさせられる課題です。医師の働き方改革は、現行制度を踏まえつつ長時間労働の是正を進めることを前提としています。この前提は、当然として医師の働き方を単に法令に合わせるのではなく、地域性や診療科の特性など現場のニーズも考慮して改革を進めてほしい…医師の働き方を仕事の特殊性と医療の公共性を十分に考慮した観点から医師の社会での役割りを見据えた柔軟な議論をしてもらいたい…と思うのは私だけではないでしょう。
「幸せ」については、国連の関連団体が発表した「世界幸福度ランキング」によると日本はG7(主要7カ国)のうち最も幸福度が低いという結果でした。特に日本では、年を取るほど幸福感が下がり「不幸と感じている高齢者」の存在が目立ちます。人生100年時代と言われる中で「幸せな老後」と「不幸せな老後」を分けるものはなんでしょうか?
平均寿命が、年々延びている現在、顕著に増えているのが、高齢者の単身世代です。配偶者と死別した65歳以上の人は864万人と言われます。生涯独身者と離婚した夫婦を除けばどちらかが先に逝けば、どちらかが残されるのは当然の理です。その残された人が、お一人さまをどう生きていけばよいのかに悩みを抱える人は少なくありません。そんな時、令和元年12月末、NHKスペシャル番組で放送された「令和家族 幸せを探す人たち」の中で野村克也さんと橋田壽賀子さんの対談は、大変興味深い内容でした。
元プロ野球監督の野村克也さん84歳は、2年前に50年間連れ添った妻沙知代さんを亡くされました。その後、妻と一緒に過ごしたご自宅でお手伝いさんはいるものの一人暮らしをされています。野村さんは、久しぶりに自宅の庭に出て「こんな木があったのか…小さかったんだよ。こんな大きくなっている。いかに庭に出ていないか…」と自然の移ろいに驚かされた様子で独り言のように語ります。「妻が亡くなって2年、男の弱さを痛感しているよ。男って弱いね。そばに話す相手がいないんだモン。それは寂しいもんだよ。乗り越えたくても乗り越えようがない。もうあとは安らかに死を待つだけだ。」と。
監督として3度の日本一を成し遂げた実績のある人である。相手の弱点突く戦略で一時代を築かれた名将と言われた人物の言葉である。墓参りをしながら墓前に向かって「来たよ。あれだけ先に逝くなよと言っていたのに先に逝っちゃって」と。沙知代さんは、3つ歳上の姉さん女房で家のことから仕事のスケジュールに至るまですべてを管理されていました。野村さんは、俺は一人では野球以外何もできない人間だと公言されていました。沙知代さんとの対談では、「この人は、パッと見た印象は、怖い、強い、残酷だのイメージと思われているけど実際はすごく優しい人なんですよ」と褒めちぎります。
そんな沙知代さんとの別れは、ある日突然前触れもなく訪れ、自宅で心不全を起こし意識が快復することなくあっという間に亡くなりました。「救急車を呼んで救急車が来た時はもう亡くなっていた。いくら大声を出しても戻るわけもないし、この寂しさから抜け出すことは絶対できません。これを背負ってあの世に逝くしかありません。頑張りようがない。すべて終わったよ。何を頑張れというの?」と答えています。
一方、橋田さんは、64歳の時に元プロデューサーであった4歳年下の夫を癌で亡くされました。脚本家としての仕事を深く理解して支え続けてくれた人でした。しかし夫の死後も変わらず創作活動に邁進し最高視聴率62%のおしんをはじめとしてファミリーシリーズの渡る世間は鬼ばかりなど数々のヒット作を世に送り出した脚本家です。お一人さま歴30年で豪華客船で世界旅行を謳歌している現役脚本家の橋田壽賀子さん94歳とお一人さま歴2年で自宅に引き籠っている元プロ野球監督の野村克也さん84歳が対談します。
野村さんは語ります。
「お袋が亡くなった時は、泣けたけど女房が亡くなった時は5分で亡くなったせいか涙が出なかった。この違いはなんだろう。」「サッチーさんのことはあまり思い出したくない。早く忘れたいんです。いないものはどうしようもないからね。」…
橋田さんが応えます。
「今が泣く時なんでしょうね。」「夫の存在を意識することでまた仕事に打ち込むことができました。仕事することが夫への供養である。こんなことをしたら主人に叱られるとか褒めれるとかが基準になった。」…
2年経った今も深い悲しみに打ちひしがれ、寂しさから抜け出せずにいる野村さんと30年前に泣くことで悲しみから抜け出し、仕事することで寂しさを昇華させた橋田さん。伴侶を亡くした年齢が、80歳代と60歳代の違い、そして男と女の違い、元監督と現役脚本家の違いは大きいかもしれません。でもこのスペシャル番組を観ると私たちが、いずれは訪れる老後、あるいはもうすでにお一人さま、または老境に入ったヒトの「仕事と幸せ」についてイメージできる対称的な二人のお姿でした。
野村さんは、対談後久しぶりに八重洲ブックセンターで開催されたトークショーに臨みました。「一番大切なことは感性である、感じることが大きな力になる」と聴衆の前で語り子供と握手していました。ヤクルト監督時代に「人生の最大の敵、それは鈍感である」という言葉を繰り返し述べていました。晩節となった今、自分自身に言い聞かせていたのでしょう。
最後に本題…
普通の医師は、105歳で逝去された日野原重明先生のような超人的な医師人生は、とても歩めないでしょう。しかしながらヒトとして終末に近ずいて来た時に備えて自身の健康を保ち周りの環境を整えることは、可能なはずです。これらは、高齢者の先人から学び準備するしかありませんが、その時にならないと中々本腰を入れて行動できないものです。
私たち医師は、人生100年時代と言われる中「仕事と幸せ」の関係について医療以外に学ばなければならないことが多いように思います。私たちは、まだまだ先の…あるいは真っ只中の自身の「幸せな老後」をどうイメージし、いかにデザインしましょうか?
追記)
野村克也さんが、2月11日に84歳で死去されました。氏が残された数多くの著書から示唆に富む多くの学びがありました。一人暮らしの高齢者が、一番の注意しなければならない「風呂場」について氏からお一人さまへ最期の警鐘を鳴らされたように思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。