65. 病気の本質を引き出す問診力
参議院選挙が、終わり、梅雨が明けると、猛暑が、襲って来ました。
湿った梅雨空が、多かった日々から、一転して酷暑を予感させ緑の木陰が、より一層有り難く感じる日々です。
澄み切った青空の下で、太陽が、こうこうと照り付ける日に通院されるご老人を診察室で拝見すると、7月と8月はこの暑さの中を通院される過酷さに、申し訳ない思いになります。
若者であっても、この酷暑の中を外出する時は、体力を消耗します。
少し動いただけでも疲れが、出やすいご老人では、尚更であり通院途上にこの日照りで、倒れてしまわないか、と心配になります。
しかも、このクリニックでは、診察前に1時間も待たされる。
あるいは、日によって、それ以上の待ち時間となってはそれだけでくたびれてしまうことでしょう。
(実は、当院で待ち時間が少ない時間帯があるのです
それは・・・診療開始の9時台に来院して頂くか
あるいは、夕方5時過ぎに来院して頂くか、のどちらかです)
私は、そんな患者さんの苦痛を重々承知しつつ、申し訳ないと思いながら待合室にどんなに大勢の患者さんが、居ようとも、またその逆に待合室が、ガランとしていても、開院以来、一貫して個々の患者からの「背景」と「現症」の聴取を最重視して来ました。
「背景」とは、今までに過して来た生活を物語る既往歴と、血の繋がった方の家族歴であり「現症」とは、現在の症状が、生起した時から今までの推移のことです。
病気か否か、単なる加齢現象かを判断する時に、大切なことは、その「経緯」だと思います。
病気というものが、遺伝子レベルで規定された、避けられない要素と日々の生活習慣の積み重ねによる、改善可能な要素とが重層して、発症するからです。
人の話を聞く。病気の本質を引き出すこの問診力は私たち医療人が、教科書だけでは分からない年余に渡る経験によって培われる基礎と応用が試される能力。
「背景」を横糸と考えるならば、「現症」は縦糸と考える。
横糸と縦糸を十分聴取することで、経線と緯線がそれぞれ交差する経緯が、あぶり出され今、現在置かれている立脚点が、おおよそ分かります。
でも実は・・・
私にとって、これを聴取することは、大変な重労働です。
もっと効率よく診療を進めるためには、一体どうしたらよいのか私が、日々悶絶している問題であり、研究しなければならない課題です。
現在の医療では、血液の遺伝子を調べることで、ある病気に罹患する確率が何パーセントあるかを知ることが出来る時代になっています。
例えば、「あなたは、将来、脳梗塞に罹患する確率は・・・」という具合に。
遠い将来、全ての遺伝子解析が、終了して生まれた時点で「あなたは、将来、○○病に罹患する確率が、X%です」と言われた時に、私たちは、ああ、幸せな時代だなあ、と思うでしょうか。
確率的には、低くても、私なら不気味で仕方がありません。
私たちが、生きている間は、そのような口に出して言いたくない不言は受胎初期の段階で、胎児の生前診断以外には、封印されていた方がいいのかも。
何故なら・・・
生命を取り扱う医療というのはとびとびな値として離散的な数値として捉えるよりも極めてアナルグ的感覚だと思うから。
アナログとは、類似性や相似性を意味し、数や量を連続性として表示すること。
縦糸と横糸の連続するアナログ的交点を、問診力で引き出すことが外来診療の出発点だと思うから。
将来、医療が発展しても、迷妄する患者を相手にしてどうか、悪い宝くじが当たりませんようにと祈る祈祷ビジネスが、せいぜい流行っていないことを願いつつ・・・
診察室では、この酷暑の中、来院される患者さんの身を按じながらセンサーを鋭く研ぎ澄まして、一人一人を診療しています。
さ~て・・・
巷間では、西田敏行とオードリーが演じるサマージャンボ宝くじのコマーシャルが流れています。
宝くじの運命の女神さまが、微笑みながら今日、あなたの頭上に幸運が、訪れるかも、と幻想に誘われた人が行列の中で熱中症になりませんようにと、祈る二十四節気の大暑でした。
2010.7.23