50. 伊勢神宮と神々の美術
7月は・・・
降雨の日が多く、関東で梅雨明け宣言があっても全国的にはいつになったら夏になるのだろうと思う日々でした。
8月になっても・・・
曇りの日が多く、日照時間の不足で、農作物に影響が出ました。
スーパーへ買い物に行くと、トマトや野菜類の値段が、高くなり購入を一瞬、躊躇してしまいました。
そして、地震が、小規模ながら数回あり、肝を冷やしました。
9月になると・・・
日中は、夏の陽射しが、和らぎ朝夕には、涼風が立ち、めっきり涼しくなりました。
「天」も「地」も、あまり穏やかでなかったこの夏が、終わり夜には、涼しい風が、穏やかに流れ、虫が静かに鳴き始めるとすっかり秋の気配を感じるようになります。
8月晩夏のそんな夜は、「夜の秋」と呼ぶのだそうです。
「秋の夜」ではない「夜の秋」とは、晩夏の頃に夜だけ秋めいた気配になることで夏の季語です。
日中は、まだ夏の気配が残る8月下旬、夏休みを利用して上野にある東京国立博物館で開催された第62回式年遷宮記念特別展 「伊勢神宮と神々の美術」へ行きました。
伊勢神宮は、およそ2000年前に鎮座されたと伝えられています。
皇室の祖神として、政治的地位が高かった古代から中世には、朝廷の影響力が弱まるに従い全国の御祖神として、武士の崇拝を集めました。
武士が争う戦国時代に闘う武士たちが、無事を祈ってお参りしたのでしょう。
戦国期が終わり、江戸時代になると 「お蔭参り」で多くの民衆が、訪れるようになりました。
泰平の世、江戸町民の中に一生に一度はお伊勢さん信仰が流行。
日々の生活が、安泰に暮らせることを「御蔭様」と感謝しながらお参りしたのでしょう。
神のお蔭を被る意から、伊勢神宮の遷宮があった翌年を 「お蔭年」として参宮の人が多かったそうです。
「お蔭参り」とは、「お蔭年」に「御蔭様」として、伊勢神宮へ参拝すること。
戦国期に、民衆の気持ちが、戦乱ですさんだ時代を経て江戸時代になって、人々の心にお互いの感謝の気持ちが、お蔭参りとなった。
そのことが、永く続いた江戸時代に、民衆の心の安定に繋がり信仰の礎になったのだろうと思います。
伊勢神宮では、おおよそ1300年前から20年に一度「式年遷宮」として、正殿をはじめご装束神宝を全て作り替えて御神体を新宮に遷す行事が行なわれています。
内宮、外宮、別宮など全ての社殿を作り替え神に捧げる装束と宝物も全て新調する。
その数は、1500点にも上がると言われます。
当然、多くの財力と労力を要したことでしょう。
でも、一見無駄に見えても、財と労を集結し社殿や宝物をそっくりそのまま作るその過程が伝統技術を継承していくための知恵でもあった。
親世代から子世代へ、その知恵伝承は、ちょうど20年という年月が絶妙な間合いとなって、現在へと引き継がれています。
人の人生の節目は、今の時代でも20年。
20年経つと、自分の置かれた状況が、ガラリと変わっている。
人は変わる。しかし、神宮は変わらない。
20年に一度、全てを一新して、古いものが、常に新しくあるという人間の命の連続性を象徴する「常若(とこわか)の精神」を保ち続ける日本の伝統。
西洋の文化では、神殿を大理石で造ることで不滅を求めます。
一方、神宮では、まったく新しく造り替え、同じことを繰り返すことで命を繋いでいきます。
この日本の伝統こそが物資的にも精神的にも清潔を尊ぶ日本人の心の現れなのでしょう。
私たち日本人は、ある期間が満ちれば、変化することを好みその変化に機敏に対応します。
そして何かが変化することで、自身が新しくなり本来のあるべき姿に戻っていこうという考え方をするようです。
では、今の時代にも、伊勢神宮が特別な場所であるのは、何故でしょうか?
それは・・・
神々に特別な想いを抱く人は少なくても
常に静謐(せいひつ)な時間が流れ
厳かな「静寂」に包まれる。
人々が、どんな時代にあっても、悠久の時間を経ても
伊勢神宮は変わらずに「存在」する。
その悠久な「静寂と存在」に、心が引かれるからだと思います。
平成25年は、62回目の式年遷宮の年。
神々の美術展を観賞して4年後の遷宮で、日本の心の絆が、強まることを願わずにはおれない9月になって、宵の静寂が、少し長くなってきた「秋の夜」でした。
2009.9.6