45. 限りない人の能力
米テキサス州で開催されたバン・クライバーン国際ピアノコンクールで全盲のピアニスト辻井伸行さん二十歳が、優勝されました。
多くの人たちが、この事実に驚嘆し、限りない賞賛の言葉を送ったことでしょう。
努力と鍛錬の賜物という、ありきたりの言葉では物足りず神が授けた天賦の才能という、安直な表現でも形容できない息が止まりそうな、感動をもってしか語ることができないそんな人生があったのか。
「驚嘆」という言葉でしか表現できない彼の人生は受賞後のインタビューでさらに「感動」という言葉が、増幅されたように思います。
成田空港に帰国した時、テキサスハットをかぶって到着ロビーに現れた辻井さんは詰めかけた報道陣の気配にやや緊張し、戸惑った表情でした。
でも、上気したその顔付きは、晴れ晴れした心境にも思えました。
もの心ついた頃から鍛錬して来た自身の全ての力を出し切ったことへの達成感とそれを支えてくれた周りの人々への感謝の気持ち。
そんな心情を織り混ぜて、辻井さんは、開口一番
「良い結果を出せたのは、今までサポートしてくれた人たちのお陰
ほんとうに感謝しています」
と語りながら、まるで、少年のように嬉しそうな満面の笑顔でリュックサックからメダルを取り出し、披露していました。
彼は、生まれながらにして盲目。
しかも、色も形も、一縷の光も、感知しない全盲だったようです。
色や形が、認識できない人が、どうやって、譜面を覚え、鍵盤を叩くのでしょうか?
鍵盤を叩くというより、這うような指先の動きは通常のピアニストでは、真似ができない芸術の域らしい。
単なる努力と鍛錬、そして、天賦の才能だけでは、片付けられない彼をそこまでの芸術に昇華せしめたのは・・・
まぎれもない全盲という負の要素でした。
障害を克服して、芸術品としての自分を高めた、その努力・・・
それと同時に、健常者であっても達成できないであろう、その高い音楽性・・・
その両方に、多くの人たちから、多大な拍手が送られているのだろうと思います。
でも、彼自身は、盲目という要素をどう感じ、何と思ってこの20年間を如何に過ごして来られたのでしょうか?
日常生活では、目が見えないことへの不便さは、語り尽くせないでしょう。
辻井さんの父親、産婦人科開業医(横浜市青葉区)でもある孝さんは
「幸せな人生が歩めるか、常に不安を感じてきた息子だったが
優勝の瞬間、生まれてきて良かったと感じてくれただろう。
お世話になった方や、息子の目となり手足となり、付き添ってくれた妻に感謝したい」
とお話されていました。
しかし、おそらく・・・
彼にとって、全盲という世間で考える途方もない「障害」は彼自身には、ハンディーキャップとは、あまり、感じていなかったはず。
あるいは、ほとんど、自覚していなかったのではないだろうか、と想像します。
何故ならば、彼は、生まれながらにして色や形の認識が、できないという、ことが持って生まれた「個性」であり、「自分」であったから。
その「自分の個性」と、如何にして、馴染みながら、伴に、生きてきたかその20年だったのではないか、と思うのです。
世間から見れば、感嘆のため息をもってしか語ることができない人生は確かに苦難な道であったことでしょう。
本人はもちろん、家族しか知り得ないイバラの日々であったことでしょう。
でも、その全盲という個性から、障害以上の人間に成長した辻井さんへは
「人には、限りない能力が、眠っている」ことに
「人には、計り知れない潜在力が、宿っている」ことに
あらためて驚愕し、そしてさらに感動させられるのでした。
彼は、次のようにも語っています。
「親孝行のため、早く自立して、よいお嫁さんを見つけて、安心させたい」とにっこり。
私たちが、二十歳の頃、こんな素敵な言葉が、素直に口から出て来たでしょうか。
親から独立できない若者が、多い今の日本社会にあって思わず、自身の若かりし頃も思い出して・・・。
彼は、さらに
「一日だけ目が見える日があったら、一番見たいのは両親の顔。
だけど、今は心の目でみているので満足しています」とも語っていました。
心の目でみる、とは、心で通じ合っているという純粋さを持つ人である。
“高い技術” と “美しい音色” は、もちろん技と音を通じて “純粋な心” が、伝わる演奏家として今、世の中に出た辻井さんはこれから自分の音楽で自身の世界を、さらに広げていく未来の人でもある。
味のある存在とは、苦難と不足に耐えた境遇から生まれるものなら現状に妥協しない姿勢によって限りない人の能力は、さらに伸びるだろうと辻井伸行さんは、私たちに「大切な示唆」と「大きな勇気」を与えてくれたのだと思います。
眠っている能力・・・
宿っている潜在力・・・
さて、私たち凡人は健常であるのが、当たり前と思って、甘えている怠惰な自身を如何にして賦活し、「自分の個性」と、伴に生きて行きましょうか?
2009.6.25