院長コラム|横浜市青葉区の脳神経外科「横浜青葉脳神経外科クリニック」|page3

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コラム一覧

75. -巻頭言-(平成24年3月号月報)

  今回のコラムは、横浜市青葉区医師会ホームページ「平成24年3月号月報 」に掲載
  される予定の寄稿文「巻頭言」を医師会員に公開される前にそのまま転記しました。
  (一般者は、青葉区医師会会員専用ログインから進入することが出来ません)

共生を目指して社会に資する地道な活動
              古市 晋

 平成24年2月20日、最高裁は、13年前の光市母子殺害事件に対して被告の上告を棄却する判決を言い渡しました。始まったばかりの幸せな家庭を奪われた日から13年にも及び闘った家族は、判決後の記者会見で「嬉しいとか喜びとかの感情は全くなく、厳粛な気持ちで受け止めている」という言葉を語っていました。

 家族は、平成12年3月、地裁が無期懲役の判決を出した際に「早く被告を社会に出して私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」と涙をこらえながら記者会見で言い切っていました。家族を守ってやれなかった事への自責の念に苛まれ、人を殺すと公言した人間は、世間から恨まれて当然と思い込んでいた家族にその後多くの励ましの言葉が届いたといいます。長い間苦悩し続けた家族が発する数々の言葉と今回の重い判決を聞き、心の中で涙を流した人も多かったのではないかと思います。

 司法の判断は、犯された犯罪に対して『証拠に基づく裁判』が、法律によって適正に運用される事で社会正義が、担保されているはずです。しかしその法律は常に不完全であって時代の変遷によって陳腐化し、あるいは置かれた社会の環境や人々の心の在りようによって運用が異なるのは、当然の理と思われます。今回の最高裁の判断も被告人の情実によって斟酌される部分があったとしても重い刑罰を排除する特別な理由はないとされました。

 さて、私たちの医療の世界を考えてみますと、10年以上も前から『証拠に基づく医療』(EBM=evidence based medicine) という言葉が提唱されて来ました。その出自の背景は、多数を対象として無作為に出された平均値であり、ガイドラインやマニュアルとしてまとめられることで治療のばらつきの少なさに繋がっています。それが、疾患の治療方針と患者の治療効果に大きく貢献したと言われています。

 ところが私たち臨床医が行う医療は目前の患者であって、その一人ひとりの患者は個人として心身一如の存在です。多数例の平均値的医療は、身体的疾患に有用な治療にはなり得ますが、心身を包含しなければそれだけでは医療は完遂しません。人間のゲノムが解読されたポストゲノムの時代にあって近い将来必ずやってくるであろうゲノム医療は、心の在りようを含めた personalized medicine が医療の中心になっているでしょう。

 『証拠に基づく裁判』と『証拠に基づく医療』は、似て非なるものでありますが、心が通う人間が運用し、心身が一如の人間に適用されることに違いはありません。法律やガイドラインは、常に未完であって「疑いのない絶対な裁定」や「間違いのない安全な医療」などはあり得ません。それ故に私たちが行う医療は、集積された証拠に根拠を置きながら個々の患者を前に心身一如に依拠した判断が、個々の医師に求められている。そしてその裁量権が与えられている私たち医師は、諸行無常の中でその時代とその地域の環境に合った適切な医療を選択できる敏感度を研ぎ澄まし眼識力をより一層養う必要があると言えるのでしょう。

 私たちは、所詮どこにでもある(どこにでもいる)路傍の“石(医師)”であるかもしれませんが、医療の片隅を照らすその“意志”には、路肩にある踏み石となっても央道に形成される医療の本質を見抜く力が不可欠です。その力は、私たちが日々歩む一期一会の研鑽で地道な実践を積み重ね、謙虚に「患者から学ぶ」王道で培うしかないのだと思います。

 こんな観念的な医療理念を描きながら、先の最高裁が出した判断後に行われた記者会見で家族が述べていたことにも共感を覚えました。家族は「今は自分の生活を立て直しに懸命になっている。事件のことを考えずに生きるのは無理だが、これからはしっかりと家族を持って維持し社会に資する人間になろうと思う」と。最後まで感銘を受ける深甚な明晰さから凛とした地に足を付けた姿勢の尊さを教えられたのでした。

 季節は、早くも櫻咲く3月弥生です。控えめな淡い色彩で澄み切ったほのかに香る櫻の花は、自然の摂理に従って春暖の候に蕾が膨らむ。そしてその花びらは風雨に負けることなく咲き誇ろんだ後、いずれ役目が終わって時が来ると潔く静かに散ってゆく。医師会会員の皆様におかれましては、青葉区の医療がさらに発展するようお互いに情報の密な疎通を行いながら、共生を目指して社会に資する地道な活動を伴に切磋琢磨し歩んで行こうではありませんか。

平成24年3月4日 記

74.作用と反作用の共鳴力

12月31日、大晦日。
熱い夏が終って、あっという間に秋冬となり、今年もあと数時間で終ろうとしています。
そして普通のように翌朝になると、また新たな一年が始まる時を迎えようしている今この1年間の日常を通して感じたことを綴っておきたいと思います。

今年を象徴する漢字が、「絆」に選ばれたように東日本大震災発生後は、この言葉が盛んに使われました。
この漢字は、私たちの日常生活の表層であまり意識しない地下の奥底に埋まっている根っこを震災という激烈な鍬によって掘り起こしてくれたように思います。

では絆とは、いったいどのような意味なのでしょうか。
言葉の語源は、動物を繋ぎ止める綱のこと。
人が、動物を思うがままに動かすための道具としての綱が、当初の絆。人と動物の主従関係を示す道具が、「繋がれている」綱でありその象徴として「繋がる」という言語の始まりが、絆だったのです。

この言葉が持っている初期の意味合いは今私たちが遭遇している環境の中で使われている絆の語感と多少の違い、いやむしろ大きな差異があるように思います。

絆という漢字をもう一度よく見直してみると左に位置する偏は「糸」であり右に位置する旁は「半」となっています。

この言葉の語源は、動物を縛る単なる綱が出発点だったとしても綱を引いたり離したりする強弱や綱を振動させたり静止させたりする振幅によって動物も反応することを見通した言葉だったのでしょう。

「糸」は、一方方向に相手の力加減に関係なく引っ張り過ぎると切れてしまいます。
双方の力の相対を考慮しつつ半分は引っ張りながら、半分は引っ張れながら半分半分の意味を込めて、繋がる結び付きを重視して「糸」+「半」と書くのではないか。
2011年の今年の漢字に絆が選ばれた時、私はそのような思いを抱きました。

この漢字が、今年の象徴語として発表され、そしてその意味を考えていた時私は、もう一つの言葉が頭の中に思い浮かびました。

その言葉とは・・・
「半学半教」という言葉です。

この言葉は、今はほとんど使われなくなって馴染みのない用語ですが江戸時代から明治初期にかけての教育機関でよく使われていたものです。
特に経営基盤の弱い民間私塾においては、もっとも一般的な教育形態でした。

江戸時代に寺子屋式教育から明治時代になっても教育機関が未熟な社会では、学生が教育されながら同時に教育もする。
個々には学生にして、集団には教師の役割も兼ねるという半分学びながら半分教える半学半教の仕組みが、ありました。

この形態は、社会が未成熟な段階では当然で教育効率としても不可欠なシステムだったのでしょう。
でもよく考えてみれば、半学半教という概念は教育という場に限ったことではなく、社会に出てからも人間が行なう遍く行為では当り前とされるものだと思います。

数年前 、半学半教という言葉とその意味を知った時、当り前と思いつつ12月に、絆という言葉の語源と裏にある意味を理解し私たちの生活は、常に作用と半作用の狭間で生かされているのだと気付ずかされます。

私は・・・
 日常の診療の中でご来院頂く患者さんから学び、そしてその経験の中から
 教科書に立ち戻って知識を吸収し、おこがましくも医療を担って来た。

 日常の仕事の中で職場で働く多種職員から学び、そしてその経験の中から
 役に相応しい適切な仕事を按分し、おこがましくも業務を担って来た。

 日常の生活の中で日々成長する子どもから学び、そしてその経験の中から
 威厳なき親の器の狭量さを反省し、おこがましくも親業を担って来た。

このようにあらゆる局面場面において物理でいう「作用と反作用の関係」のようにお互いに共鳴しながら生きている力になっているのだと思います。

絆という言葉の意味を考えた時、半学半教という言葉もまた私たちの日常生活の土の中に埋もれた根っこ力だと思いました。

震災では、多くの人が亡くなりました。
親族縁者でない私のような路傍の者でさえ今でも哀悼の意を捧げつつ・・・

死と何か、生きるとは何か、という重いテーマは健康な時から老化について一人ひとりが、勉強して自分で考えなければいけないことだと思う。

喪に服し法要を営むという行為についても亡くなった人を少しづつ心の整理箱に仕舞い込んでいく作業ですが忘れ去るための儀式ではありません。

亡くなった人への強き思いを一生胸に刻むことであり自身が、勇気をもってまた前に歩み出す決意を固める日なのだと思います。
人は、生きている限りにおいて前進あるのみですから。

今年も1年間、多くの人にお世話になりました。
患者さん、職員の皆さん、業者の方々、友人知人そして家族や親族に助けられながら仕事が出来ました事を心から御礼申し上げます。

私が関わった多くの皆様が来年も健康で幸多いことを祈念し、今年最後のコラムと致します。
来年もよろしくご指導をお願致します。

2011.12.31

73. 朝起きの時代

9月下旬になると、夜が明けるのが、だいぶ遅くなって来ました。
横浜における日の出の時刻は19日敬老の日が午前5時26分、23日秋分の日が午前5時29分でした。

昼と夜の長さが、ほぼ同じになる秋分の日が、終った頃私は、私たちにとって24時間とは何かとりわけ「朝の効用」「朝の意義」について考えてみました。

私たちは、太古から夜明けとともに起き、日没とともに活動を休止するのが人類誕生して以来、続いてきた生活形態でした。
人類が誕生した頃、雷や火山の噴火によって起こった自然による火災を利用して生活していました。

たまたま起こった災害から出た火の粉を頼りに生きていた人々は、自然とそれこそ命を賭けて対峙していたと思います。

自然と真剣に対峙していた当時の人々が風で擦れ合う木々の枝から発火するのを偶然見た。
たまたま火が興る瞬間を偶然に遭遇しそれをきっかけに自然から発火する術を学び取った。

乾いた木を横に置いて、その木に垂直に別の木を当て擦ることで摩擦の熱が発生し発火する。
この術は、人類の最大の発見でした。

火を絶やさないことで夜を明るく過せ寒い土地でも暖かく生活できるようになった。
このような火の発見は、50万年前のことだと言われています。

偶然手に入れた火が、私たち祖先に与えてくれたもの
それは・・・
闇夜を照らす「明るさ(光)」と厳冬を耐える「暖かさ(熱)」の二つです。

夜行の獣から身を守り、寒くなった体を温めてくれる火を家長は家族のために大切にし、これを絶やさぬように番をしながら守り続けることが彼らの宿命だったのでしょう。

明るさと暖かさに癒されながら夜明けとともに起き、日没とともに活動を休止する。
「朝」が、私たち人間の日々の暮しにとって「蘇り」の時で人類の誕生以来、延々と続いてきた生命の循環でした。

ところが、近代になって電気が発明されさらにおよそ100年ほど前に電灯が出現します。
この術は、人類で二番目の発見と言われています。

それによって、私たちの生活は、夜も活動可能になり生産活動を上げるため24時間だれかが動いています。

通常、私たちの一日の流れは、それぞれの地域、すなわち国単位で日の出から一日が始まり、日の入りで主な活動は終息します。
でも、電気の力によって、その後私たちは、多大な「明るさ」と「暖かさ」を手に入れました。

経済や社会の国際化の中で、たとえば金融市場ではニューヨーク、ロンドン、香港、そして東京と24時間どこかで活動されていて、一瞬の休みもなく情報や通信が飛び回っています。

医療は、どうかと言えば、時間帯によって活動の軽重はあっても基本的には、24時間活動が続いており究極の命を守るという意味では、休みはありません。

しかし、経済や社会、あるいは医療が、その総体として24時間活動しているとはいってもそれぞれ働く個々人は、朝から仕事が始まり、夕刻には終息する。
その後は、夜の勤務を担う人たちが、業務を引き継き、翌朝まで継続します。

かつて、私が24時間体制の救急病院に勤務していた頃一日の24時間の中で、病院にとって、朝がいったいどんな時間帯なのかとりわけ早朝という時間帯が、私たち人間の活動と病気の発症においてどんな関連があるのかを身をもって体験していました。

病気が、発症し難い時間帯というのは人間のバイロリズムと密接な関連があると言われています。
その関連は、大自然が織り成す24時間のリズムと一致して早朝の3時~6時が、病気の発症頻度、とりわけ脳卒中が少ないのです。

だから、私は、今もこの時間帯が一番好き。
朝、まだ誰も起きていない日の出より更に早い時刻に目覚めて活動を開始することによって、一日の生活が引き締るように思います。

この数時間が、だれにも邪魔されない至福の時間。
本や新聞を読み、資料に眼を通し、ある時は専門書を開く。
思索を巡らして計画を練る。
文章を書くのも早朝に書いた文面は、何故が素敵な言葉が、湧き出て来ます。

高校時代の国語の先生から、ラブレターは朝に書けと教わりましたがなるほど、確かにその通り・・・。
(この国語の恩師は、今でもおっかなくて頭が上がりません)

「よ~し、この○○レターの文言は、なかなかイケてるぞ」
などと一人ほくそ笑みながら、恩師のご助言を今も忠実に守っている(?)。
朝の理性は、客観的で冷静な判断を下せる大脳生理の「朝の効用」なのでしょう。
この朝の効用が、どのようなレターに生かされて、実効あるのかは、不明ですが。

以下の( )内は、著者の心の内をつぶやきとして述べたもの。

 (一ヵ月に約40~50通の○○レターを書いています。
  40~50人の相手の顔を想い浮かべて、美辞麗句を並び立て、それはそれは丁寧な文言です。
  自分でもウットリしそうなお手紙は、差し出した相手と相思相愛。

  ○○レターとは、いったい誰に宛てた手紙なのでしょうか?
  そんな多くの愛人を隠し持っていたのか?
  もしそうだとしたら、多くの男性からは羨ましがられ、多くの女性からは嫌われる?

  いやいや、そんな訳がないでしょうが。
  ○○レターとは、近隣の病院やクリニックから紹介を受けた患者さんについて紹介医への返書
  つまり診療情報提供書=メディカル・インフォメーションという「報告レター」でした)

早朝は、私たちがどんな時であれ、確実に清々しさを与えてくれます。
大自然の夜明けに立ち会うと、自然が織りなす余りの美しい光景に心を揺さぶられます。

玉などが、透き通るような光輝く玲瓏たる朝の光を全身に浴びるとその瞬間心は広がり、爽快な気分になって今日もまた、一日がんばろうと思わせてくれるのが「朝の意義」なのでしょう。

確かに、人類にとって「朝の効用」と「朝の意義」は普遍の真理だとしても朝起きは、すべての人のただ単なる健康法や問題解決法ではないと思います。
なぜなら、朝起きが苦手の人もいれば、病気のために朝起きが困難な人もいるだろうから。

灯火の力を得てから50万年
電気の力の使用から100年
そして・・・震災から 半年が過ぎました。

私たちは大自然の摂理が貫徹した「朝」に効用と意義を認め人類が発見した「灯火」と「電気」に英知を感じます。

そして、朝陽に照らされた生命の源となる貴重な日の出の時刻を私たちは、朝早く起きて過すことが出来ればどんな困難にぶち当たっても、どんな試練に遭遇してもまた新たな「勇気」と「気力」が、みなぎって来るのではないかと思います。

「朝起きの時代」
それは、太古から人類の遺伝子に仕組まれた生き知恵でした。

2011.9.26

72. 此岸町1丁目1番地

ー「がんばろう・日本」と「やり切ろう・人生」ー

3月11日、午後2時46分。
誰もが、記憶に刻まれたこの日時に、私たちは、どこでどのように過していたでしょうか。
そして、数ヶ月経過した現在、更にこれからの未来を、如何にして過していけば良いのか。

震災後、4ヶ月以上が経過して、世の中の動きを眺め、多くの人たちの思いを聞きそして、日常の診療が継続出来て、今ここに生きている有り難さを痛感しながら思考を巡らしてみました。

震災当時、私は午後の診察が始まった直後であり撮像した MRI 画像を患者さんに説明している真っただ中でした。
突然、窓がギシギシと音を立てながら、診察机が大きく左右に揺れましたがそのうち、揺れは収まるだろうと高を括り、患者さんを横に平然と説明を続けていました。
ところが、全く収まる気配はなく、その後の事態が、今日のこのような状況に至るとは。

東日本大震災がもたらしたもの・・・
それは、人の不条理な死であり、物の不条理な喪失であり、そして人生の不条理な運命でした。
まさに人の意思では制御不能な、絶望的な状況として、不条理だらけでした。

身近な家族や知人を失った時
今まで積み上げて来た大きな財産を失った時
そのようなとてつもなく大きな悲しい運命に襲われた時に

私たちが、賢人であるならば、その大人の振る舞いとしてこのような不条理に、どのようにして対処しそこからの理不尽を、如何にしながら消化しあらゆる試練に対し、どう向き合って昇華しさらに乗り越えていけば良いのでしょうか?

如何なる精神的修行を積んだ、行者や宗教家であっても
如何なる肉体的鍛錬を重ねた、豪者や運動家であっても
この途方もない命題の解を、簡単に提示できる人は、だれ一人としていないでしょう。

そんな命題へのわずかな糸口を探していた時最近読んだ本の中から「セレンディピティ serndipity」という言葉を知りました。
この言葉は、昨年ノーベル化学賞を受賞された根岸英一さんがシンガーソングライターの松任谷由実さんと対談されている中で使っておられた言葉です。

セレンディピティとは、英語の辞書にはない造語だそうですが、その語義は「何かを探している時、探しているものとは別の価値あるものを発見する能力や才能を指す言葉」だそうです。

何かを発見して得られた獲得物ではなく、何かを発見するための潜在能力を指します。
これをもっと普遍的に言えば
 「日常的な平凡な生活の中から小さな仕合わせを見出す能力」
そしてさらに言い換えれば
 「そのフッとした偶然のチッポケな閃きを仕合わせと感じられる素朴な感性」
とも言えそうです。

90歳を過ぎてから詩を始め、自費出版した処女詩集「くじけないで」の著者柴田トヨさんは、まさしくセレンディピティある人と言えるのではないでしょうか。

根岸さんは、松任谷さんとの対談で次のように語っています。

 「残った我々は、悲しみを深めていくことより
  自分の守備範囲の中でやるべきことを続けて行くしかない」
  ・・・
 「続けているうちに、またその過程を噛みしめられる時が、必ず来るだろう
  大きな不幸があっても、それでも人生は続く Life must go on ! 」と。

この言葉の意味を知った時
私は、途方もない運命を背負った人が、苦しい日々を続ける中でもふとした偶然のチッポケな輝きに、幸せを感じてほしいと、切に願いました。
そんな感性を鈍らせないでほしいと、心から思いました。

人の幸不幸は、体重計で量れるものではなく、仕合わせに均質な幸福はないと思います。
そこに必要なのは、たまたま巡った偶然を好しと感じ取れる感性のみです。
如何に歳老いても、如何に奈落の底にいても、この感性は、錆び付かせてはいけない。

90歳にして、感性を鈍らせていない柴田トヨさんは、まさしくお年寄りの見本です。

今、日本は、あらゆる分野で覚醒と再生に向けたヴィジョンを求められています。
震災以来、叫ばれている「がんばろう・日本」は、今の最大公約数的なメッセージである。

ただ、この言葉もいずれは、時間と伴に風化と直面することは避けられず人々の心の底に眠っている鐘を鳴らすために、強い訴求力ある新しい象徴語が望まれます。

私たちは、今後
日本国を遠視眼で見る大局的観点と、被災地を近視眼で見る局所的観点を複合しながら心の釣り鐘を揺り動かす新しいメッセージが、必要となるでしょう。

幼い頃から有り難うを言われる嬉しさを体験している者は「してもらう仕合わせ」と同時に「してあげる仕合わせ」にも心地よさを感じそれが、仕合わせの循環となって、大人の振る舞いとして身に付いていく。

この「してあげる仕合わせ」を少しずつ積み重ねて他人の事を自分の事のように喜べる人間へと、さらに成長することができれば私たちの人生は、より豊かになると思います。

この震災では、途方もない人が、亡くなりました。
その一人ひとりの霊魂は、残された親族の心の底に深く刻み込まれています。
残された親族も、何らかの理由によって、宿命としていずれはどこかで必ず亡くなるはずです。

今まで人類史上、亡くならなかった人は、誰一人としていませんから。
だから、自分がいつ死ぬかなどと心配しなくてもよい。人類の致死率は、100%。
いずれは必ず死にますから、安心して暮らしましょう。(・・・?)

被災で残された者が、いずれ天国に行った時すでに亡くなった父や母、夫や妻、あるいは子どもたちから彼岸で何と声を掛けられたいかと想像すると私なら、3年半前に43歳で亡くなった妻にこんな言葉を掛けてもらいたい・・・

「この世で、あなたがやりたい事を、十分やり切りましたか?」と。
そして、私は、妻に次のように答えたい。
「うん、ボクがやりたい事は、この世で十分やり切って来たよ」と。

天国では、すでに先輩格に当たる妻は、広大な天空の道案内をしてくれるため彼岸の入り口にある彼岸町1丁目1番地まで、迎えに来てくれることだろう。
そして、私は、短かった妻の人生を代償に、その掛替えのない支えによってこの世で悔いなくやり切れた事に、感謝の気持ちを伝えることだろう。

私たちは広漠として理解する「がんばろう・日本」という、外への静的な共通イメージの中に了然として挑戦する「やり切ろう・人生」という、内への動的な新メッセージを込め豊かな生涯になるために、それぞれの此岸町1丁目1番地、即ち最優先課題を見つけ一日一日歩むことが、必要なのではないでしょうか。

広漠とは、はてしなく遠く広いさま
了然とは、はっきりと良く悟るさま

彼岸町1丁目1番地は、いったいどこにあるか・・・
私は、まだ行ったことがないのでその詳細は知らない。
此岸町1丁目1番地は、いったい誰の所有地か・・・
私は、それぞれの心の敷地内に秘められていると思う。

「しあわせ」という言葉は、人々が、お互いに仕え合う意味であえて「仕合わせ」と私は書きたい。

不条理な運命で亡くなられた人びとのご冥福を改めて祈りながら人の生死と生き様について、そんな思いを巡らした震災後の4ヵ月でした。

2011.7.24

 彼岸(ひがん=あの世)
 此岸(しがん=この世)
 1丁目1番地(=原点)

71. 新成人の若者へ贈るメッセージ

1月の第2月曜日、すなわち今年は、9日が、成人の日でした。
平成2年生まれの若者が、全国で124万人、成人の日を迎えました。
本人や家族にとって、それは誠におめでたい門出の一日でした。

二十歳を迎えた新成人たちは、どんな心境で、その場に立っていたのでしょうか。
そして、どんな夢を描いて、今後の人生を歩んで行こうと考えているのでしょうか。

二十歳になった若者は、その育った20年間にも、いろいろな人生があったことでしょう。
健康に恵まれ、家庭や師の境遇、そして社会の環境にも恵まれ、20才の青春真っただ中まですくすくと、真っすぐに育った、二十歳の若者がいる一方でその真逆に、苦節して屈折した、二十歳の若者もいると思います。

どんな二十歳を迎えようとも、何はともあれ20年間生きて来れた事に、まずは、おめでとう、と心から祝福して上げたい。
どんな20年であっても、今ここに生きていることの幸福を享受して上げたい。

そして、これからの人生を、どのように生きていけばいいのか、を老婆心ながら、熱きメッセージとして贈りたいと思います。

成人式の晴やかな姿と、その裏に潜む危なっかしい言動を見ているとまだまだ成人した大人とはほど遠い、危うさがある反面でその清々しい顔つきや艶やかな装いは、初々しい凛々しさがある。
そしてそれが、成人してもう何年も経つ大人から見ると、輝いて眩しくも映ります。

壮年や老年となった大人たちも、誰もが、かつては通った同じ二十歳という時の通過門。
その大人への通過門は、やっと端緒に着いた社会への一里塚です。

成人を迎えた若者は自身の健康の問題や経済的な問題、あるいはその他の理由で晴やかな成人式には、種々の理由で参加できなかった人もいたことでしょう。

自身の健康問題で参加できなかった人
親の経済的負担で参加できなかった人
社会的な孤絶縁で参加できなかった人

成人式に参加した若者は、成人式に参加出来なかった若者にまずは、思いを馳せてほしい。
幸福である時こそ、自分が立つ位置と、対極にいる人の視点に、です。

成人式を過ぎて、何十年も経た大人たちは、通過門の二十歳の頃へ思いを馳せると歳を重ねるに連れて、そして、人生の晩年になればなるほど気付かされることが多いと、諸先輩が、語ってくれています。

それは、歳を取ることによる年輪が、生み出す厚みだとすればまだ二十歳の若者には、理解できない感慨かもしれません。

それは、歳を取ることによる堆積が、生み出す渋みだとすればまだ二十歳の若者には、味覚できない苦味かもしれません。

その計り知れない無量な、身にしみて思う感慨と苦味とは・・・

 「季節の草花や樹木が、これほど美しかったと
  歳を取るまで、あまり、気付かなかった」と

 「季節の草花や樹木の命、そして人の生命さえも、これほど短かったと
  年齢を重ねて、初めて、気付かされた」と

 「季節の草花や樹木、そして一里塚の二十歳が、こんなに眩しかったと
  年月を振り返って、つくずく、気付かされた」と

多くの先人たちは、このような心境を、私たちに語ってくれています。
この思いは、二十歳という年齢では、理解できない、深い心境かもしれません。
太陽が照り付ける夏と荒涼とした冬が、繰り返される一年で伸長する年齢という年輪と身丈。

では、二十歳の若者は、これからの一年一年を、どのように過していけばいいのでしょうか。

二十歳となって、独立した一個人として努力する限りは、迷うのは当然であるしまた迷うことが、まじめで誠実な生き方だと思います。

けれども、そのような認識をもった生き方とは、対照的に重要なことは、あれやこれやと余計なことを、あまり考えず目の前に与えられたやるべきことを、きっちり、しかもマメに毎日こなす根気力を、まず最初に、鍛えていくことだと思います。

成人してからの人間関係は、人から期待されていなければ、広がって行きません。
むしろ、熟練者になればなるほど、毎日をこなす根気力をしかも長く継続する力によって、他人から求められる期待度が増しその関係は、さらに深化していくものと思います。

だから、人とどうやって上手に、いかに良好に付き合っていくか、と考える以前に自分が、いかに必要とされる人間になるか自身が、どれだけ価値のある人間になるか、が成人してから、社会人としての人間関係の骨格だと思います。

人に役立つ人間になる、それが所属する職場の役に立つ。
ひいては、結果として社会貢献の端緒に繋がる。
毎日をこなす根気力を持続しながら自分自身の『相対的存在価値』を高める努力が、必要だと思います。

仕事を成就していく上では、二十歳まで20年間で培って来た、居心地のいい友達関係とは異なる人との繋がりとなって来るでしょう。
そこでは、自分が何を持っているかが、人から見られているのです。

この相対的存在価値を向上させる努力の必要性は仕事を行なう上で、終生変わらないはず。
生涯を通じて、錆び付かせてはいけない生き方です。

私自身の信条として・・・
来る人は拒まず、去る人は追わず、一期一会のご縁として寄って来られる人とは、誠実に、しかもつつがなく交際をしつつこちらの身に害を与えない限り、相手を恨むには及ばず、ただ近づかないようにする。

そして、一度、信義に親交を結んだ仲には、誠心誠意、真剣に相手のためになるように、とことん親密な交際を生涯続ける。

こんな接し方をして来ましたが、間違いのない生き方だったと述懐します。

二十歳までの、小学、中学、高校、さらには大学と学舎で交えた「学友」と二十歳からの、仕事仲間として釜の飯を食べて、苦楽を伴にした「戦友」にさらには、仕事を通じて知り合った、職業上の、共存関係にある「知友」は

自分を高め、志を同じくしながら、時に励まし、助け合う知己であり切磋し琢磨する、自分をよく知ってくれている、有り難い『朋友』です。

このような朋友を、一人でも多く持ち相対的自分の存在価値を、僅かでも向上させることが成人した後に起こる予期せぬ不条理に、負けない底力を作るのだと思います。

自分探しという言葉をよく耳にします。
自分が、いったい何ものかを考えることは、大切ですが自分探しに時間を費やすのは、そこそこにした方がいい。
むしろ、時間の無駄と心得た方がいいかも知れません。

先者から見ると、自分の才能を見極めるよりも現実を切り開いて、一歩でも前に進めて行くことの方がずっと重要に思えます。

生き甲斐を見出すために、あれこれ考え、逡巡しているよりも自分が、現実に突き付けられた問題に、どう動いていくか『決断』を積み重ねていく経験知でしか、現実は開けないのですから。

現状を打開していくためにまず真っ先に何をすべきかを、意識下に選別していくことで仕事が、展開していき、豊かな関係が、築かれるのでしょう。

そんな決断をしていく日常生活の中で、将来の基盤となる伴侶と巡り会い一緒に歩んでいく決心も、できるのだと思います。
家庭を築き、子どもを育てていく過程が、人間性を深める礎でもある。
どうか、前途ある若者に、いい巡り合いが、ありますようにと願います。

そして、優位な地位にいる時こそ、あるいは、幸福な家庭に居ればこそ不幸にも一人身で孤独な人や、子どもに恵まれなかった家庭、家族を亡くした家庭にも暖かな眼差しを持つ人間に育ってほしい。

新成人へ贈る
 自身の『相対的存在価値』の向上・・・
 切磋して琢磨する『朋友』の存在・・・
 『決断』を積み重ねていく経験知・・・

この三つメッセージは、二十歳の通過門を遠くに過ぎた私たちにはとても頭が痛い言葉です。特に糊しろが、より少なくなったあるいは、ほとんど無くなってしまったと感じる大人(・・・私)には。

でも、若者にこのような熱いエールを送りながら余力が、年々下降していく私たちは、社会で目立たない立場でも高所から社会を俯瞰しつつ、限りない低い視点から個と公を捉える思考を、持ち続けていたいと思います。

年末から巻き起こっている、タイガーマスク「思想」が一時の「現象」に終ることなく、これからも、社会の根底に根付くことを念じ新成人の若者へ、蔭から贈る熱きメッセージでした。

2011.1.19

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